一家留学プロジェクト、完結(妻目線)

T.H.
深く味わう:Appreciation of Life
6 min readJul 1, 2017
大量の段ボールを抱えて、2年間お世話になったアパートから退去

ニューヨークで2年間、「普通」の夫婦の役割を入れ替えてみた

お父さんが外で働き、お母さんが家で子供を育てる、そんな日本の「普通」の夫婦の役割を、我が家はニューヨークで、2年間にわたって入れ替えてみました。もちろんその主役は夫なのですが、妻目線でどんな発見があったか、少し振り返ってみようと思います。

① 「普通の女性」の役割を離れることも、意外に苦しい。

男性が育休をとるときに様々なハードルや葛藤があることは、男性はもちろん、女性からも想像に難くありません。が、女性が「普通の女性」としての家庭での役割を離れることにも、心理的な負担があります。

はるお(仮)が生まれてからしばらくは、いつも心の奥底に引っかかるものを抱えていました。生まれたばかりの子供がいるのに自分の都合で海外に引越すこと、夫に育休を「とらせて」しまったこと(もちろん、本人は決して「とらされた」とは思っていませんが)、生まれたての我が子とたっぷり時間を共にすることができないことに対して、日々の生活の節々で罪悪感に苛まれていました。「いい旦那さんね」というのは間違いのない表現で、そう言ってもらえる夫を誇るべきなのに、「いい旦那さん」の裏側に「悪い奥さん」を見てしまって、チクチクと心に刺さっていました。

中野円佳さんの『「育休世代」のジレンマ育休』で、男女関係なく仕事をしたいと思う女性が、出産を機に仕事を辞める、あるいは競争へのモチベーションを下げて仕事を続けているという実態が書かれていました。私もおそらく「マッチョ志向の女性」に分類されるのだと思いますが、どんなに「マッチョ思考」でも、「普通の女性」としての家庭的役割を離れることは苦しいのです。夫が育休をとって家にいてくれた私でもそう感じたわけです。旦那さんがフルタイムで働いている日本の働くお母さんたちの心理的負担は、なお大きいことでしょう。

② 「ニューヨーク」で良かった。

日本では気づけなかったこと、ニューヨークというリベラルな街、大学という開かれた場所だからこそ気づけたこともありました。それは、家族の形、働き方、子育ての仕方は、多種多様であって良い、ということです。

アメリカでも男女平等は未だに社会的な課題です。男女の賃金格差や専門的職業での女性割合の低さが問題視されることもありますし、一方で、産休・育休の制度が整っておらず、産後間もない女性が仕事に行かなければならない、という問題もあります。しかし、お母さんだから、女性だからこうあるべき、というものがない、自由な空気がありました(少なくとも、日本から来た私にはそう見えました)。週2日程ベビーシッターを雇って、残りは夫婦で交代で子供の面倒をみながら仕事をする家族もいれば、PhD課程に在籍しているお母さんもいる。お母さんがオフィスで働き、旦那さんが自宅でフリーランスとしてお仕事をしているケースもある。夫が長期の育休をとっている我が家のケースが全く特殊ではなかったのです(この点、本人はかなり拍子抜けしたことでしょう)。

日本で「普通」の夫婦の役割も、私が思っていた「いいお母さん」像も、絶対的・普遍的なものではなかったのです。夫が育休をとってニューヨークに一緒に行くことができて、その間に私が夢だった大学院に通うことができる、それは素晴らしいことで、それを素直に喜べばいい、そう思えるようになりました。

③「自分の役割」を定義するのは自分

「掃除をしてくれない夫」に「勝手に掃除をしている私」が怒っていた話は夫自身がすでに書きましたが、もっと暴露してしまうと(というか私が怒っていた理由を弁解させていただくと)、大学院の授業が始まった当初、我が家の夫婦間役割分担は以下のようになっていました。

・夫:子育て(私が学校にいる間だけ。)

・私:勉強、家事、子育て(私が家にいる間。もちろん夜泣き対応も。)

この役割は決して夫婦間で話し合って決めたのではなく、私が勝手に家にいる間に目につく家事、子供の世話を全てしてしまっていたのです。慣れない学校に通いつつ、家のことも子供の世話もしていると、当然疲れてきます。そして行き詰って、自分で勝手に家事・育児をしておきながら、「どうして助けてくれないの」と夫を責める、男性から見たら理不尽な構造が出来上がっていました。それに気付き、掃除のように「権限移譲」を始めました。まずは掃除の負担を半分に、そして洗濯。勉強で忙しいときは寝かしつけと夜泣き対応もお任せ、そして最後に買い物・料理。最終的に、私が試験で多忙を極めても家の中は全く問題なく回る、というまでになりました。これは今後、夫婦共働きをしながら子供を育てていく上での最強の武器になることでしょう。

そもそもなぜ私は勝手に家事・育児を背負っていたのでしょうか。一つには夫が慣れない子育てで疲れているだろうから、というのもありましたが、結局は少しでも自分の中の「いい妻、いいお母さん」像に近づきたかったのだと思います。とても保守的な地域のとても保守的な家庭で育った私は、自分の中の「いい妻、いいお母さん」の殻の中にいながら、その殻の存在に気づいていなかったのです。

結局、自分を苦しめていたのは自ら定義した「自分の役割」でした。大学院の勉強もしつつ、家事・子育てを完璧にこなすことを自分の役割とすることもできるけれど、幸いなことに夫がいてくれて、そうではない方向に定義することもできたのです。それに気づいて、「自分の役割」を、次の世代によりよい世界、よりよい社会を引き継げるよう学ぶこと、と定義しなおしました。すると日本の「普通」のお母さんたちがしていることをしていないことに対する罪悪感や後ろめたさが消え、夫に安心して家事・子育てを任せられるようになり、家の中の不協和音もなくなりました。

まとめ:家族で留学して良かった。

大学院での学びはとても濃厚でした。しかし、留学生活をさらに豊かにしてくれたのは、家族での経験でした。コロンビア大学関係者のコミュニティ、ご近所やニューヨーク界隈の日本人コミュニティ、保育園のお友達など、重層的なつながりの中で家族ぐるみの関係、一緒に子供たちの成長を見守っていく温かい関係をたくさん築くことができました。これはもう本当に、はるお(仮)と夫が一緒にきてくれたからこそ得られたものだと思います。

ニューヨークでお世話になった皆様、ブログを読んでくださった皆様、ありがとうございました。ニューヨーク生活はいったん終わりますが、ブログは夫婦で続けていきますので、引き続きご笑覧ください。また、このブログがどこかで迷っているご家族、お父さん・お母さんの背中を押す一助となればこの上ない幸甚です。

夫とはるお(仮)へ。あなたたちがいなければ今の私はありませんでした。ついてきてくれてありがとう。

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T.H.
深く味わう:Appreciation of Life

Working Parents who have a 3-yrs-old boy & a newborn baby girl in Tokyo. 妻の留学先であったNYで当時0–2歳だった息子と育休生活を送っていました。帰国後も夫婦それぞれの視点で、夫婦のこと、子育てのことを綴って行きます。