吸って。吐いて。

Hiroshi Murakami
Ashoka Japan
Published in
2 min readJun 1, 2018

生きてる。

ただ生きてる。

京都は今出川の無機質なオフィスの一角で身体ワークをした。お腹に手を当てて、吸って吐いてと深呼吸。

自然の中でもないのに急に涙がこぼれてきた。

その後エンパシーサークルというワークをした。

満たされたという声が心から聞こえてきた。

ここ3週間くらい、邪に生きていたなぁと。

自分自身でも押し殺そうとしたり、他人に表現できなかったりした自分の一部がぼろぼろ出て来た。

全体性を表現して生きるとか。言っておきながら。

でも、それは自分が自分でいるために仕方なく選択したことかもしない。

そんな自分も許してあげたい。けれど、そんな自分は世界を過去の傷という眼鏡を通して見ている気がする。

深い悲しみを知らない人とは分かり合えない。信じてもどうせ裏切られる。誰も僕のことなんか分かってくれやしない。こうあるべきを押し付けてくる。

それと、身につけたライフハック的なもの?悲しいふりをしたら愛されるっていう。

まだどこかしらそんなような眼鏡を付けている自分もいる。

でも、そんな眼鏡をちょっと別の適した眼鏡にしてみたらすぐに色んなことが起こった。人と繋がれた感覚があった。

思ったよりも僕の周りの人って優しくて、人間臭くて。

悲しく見えない僕でも結構愛してくれて。

過去の眼鏡をかけて生きているのは人間誰でもそうで、それが人ってもんで。自分を守るためにかけなきゃ。そうしなきゃ生きていけなくて。

だけど、今なら。この僕を取り巻く環境なら、その眼鏡を違う眼鏡にすることによって得ることのできる幸せと、防ぐことのできない不幸せを比べたら、得ることのできる幸せの方が大きいんだろうなと。

なんでもかんでも信じるのはもううんざりだけど、またちょっと信じて生きてみよう。

ちょっとずつ、僕が自然に僕でいられる環境を広げていこう。

そう思った今週でした。

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