“未タイトル”
詠み人知らず
名前で決まってしまうことや
そもそも名前(ブランド)が大切なことや
なにをするかより“だれがやるか”
みたいなところがあるというか。
これは言ってしまえば全部特大ブーメランで、
わたしが全然うまくできていないことへの
裏返しになってしまうのですが!
そんなことをめちゃくちゃ感じた数ヶ月でした!
自己紹介が苦手
どうしても行きたかった大学に落ちたことに
学歴コンプレックスが重なって所属を言うのが嫌すぎる3年半。
大学名と学歴の真相なんて分からなくとも
実際何度か学歴のマウントには出会いました。
ここ最近は出身地も。
防災とか減災の活動をする中で「出身地」や
「活動地域」を気にされることもあるのだな…と。
たしかに信用の1つにもなる所属や肩書き。
わたしも「環境防災科」だったから
出会えた人や機会は本当に多かったです。
SNSだと自己紹介欄に肩書きが書いていなければ怪しいでしょうか
フォローリクエストが通りにくいでしょうか
わたしはむしろ反対で、
ずらずらと書かれていると、うっとなってしまいます・・・
名刺に名前しかなかったら?
人が誰かを「この人は信頼できる」と思う根拠はどこにあるのでしょう?所属や肩書きから始まる自己紹介、その人自身はどこにいるの?
そんなものをとっぱらって話したい!
「名乗らない」を考えていたときに、
詠み人知らず
を思い出しました。
詠み人知らずは
作者がわからない場合だけでなく
特定の人物の作品が多くなってしまう場合に
用いられたこともあるんですよね
歴史的な歌意外にも名言などに記している場合もあります。
もしかしたら
だれが唱えたかわからないから
共感を呼びやすいのかな
だれが言ったかわかっていたら先入観がセットになるのに対し、
良くも悪くも言葉だけで伝えている(≒勝負している)
自分ごとに置き換えやすいシンプルさ
だから、その言葉そのものの意味が
ストレートに入ってくるのかなと思います。
何で魅せるか
わたしは欲張り+他人の目を気にしてしまうので
サバサバと詠み人知らずにはなれそうにありません。
ただ、わたしの発言や想いだけが
誰かに届いたときにも伝わるものでありたいし、
私自身が
気づいたら話したくなっている、
深掘りしたくなるような魅力ある人でいたいと思っています。
会えば会うほど面白い人間に!
真っ直ぐに生きたいな。