私の居場所。

Ayaka Ueda
Ashoka Japan
Published in
5 min readSep 5, 2017

社会人になってから、いや、大学卒業後広田町に移住すると決めてから、私はずっと焦っていた。

学生を卒業するんだから、
お金を稼がないと、
ちゃんと価値を生み出さないと、
仕事にしないと、、、

周りの人にも
どうやってお金稼ぐの?
どうやって暮らすの?
結婚とかどうするの?
塾は立ち上げるの?

期待してくれているからこその投げかけなんだけど、そういう質問をされて、うまく答えられない自分。答えたくない自分。

やばいやばい、、こうしたい!って想いだけはあるんだけど、理想と現実がかけ離れている。
やり方なんてわからない、やったことないもん。
でも、自分で決めた道だから、逃げ出せない。
何もできていない自分。
自信なんて一ミリもない。。。

こんな風にどんどん自分を追い込んで、心をぎゅーっと追い詰めて、息苦しくなっていった。

「いっそのこと、このまま消えて無くなりたい、、、」

冗談じゃなく、ここ3ヶ月くらい、何度か本当に思った。

情けないけど、それくらい生きづらさを感じていた。

そんな状態での今回の渡米。

生徒と向き合っているときは、心地よい。
でもふとした時に何かから追われる恐怖心。

100人の生徒と本気で向き合う愛のある大人の仲間たちに囲まれる24時間は、こんな黒いオーラを持っている自分がここにいていいのかという問いが迫って来てつらく感じる時があった。

もうどうしようもなくなったアメリカ8日目の夜。

「今どんな感じ?」

AAの仲間からのその投げかけになぜか安心感を覚えて、今の自分の気持ちや生きづらさをだーっと話した。

この4ヶ月間誰にも話せなかった想い、言葉、涙が、洪水のように流れ出て来た。

自信がない、逃げられない、何かしないといけない、価値を生まないといけない、不安、孤独感、、、

2時間くらいずっと話していた気がする。。。

その中で気づいたことがある。

それは、私にとっての心のふるさとであった陸前高田市広田町が居場所でなくなってしまっていること。

大学1年生の私は大学に行くのが嫌だった。
夢を抱いて新たな場所で頑張るつもりだったのに、つまらない授業、なんか打ち解けられない友達、、、私は大学に居場所を感じられなかった。

そんな大学1年生の春に出会った広田町。

「あやかがいるだけで笑顔になれたよ、ありがとう」
「また帰っておいで、待ってるよ」

初めて行ったのにあたたかく家族のように接してくれる広田町の方々。

私の居場所ができた

それから4年間、広田町は学生の私にとって、いるだけで心の充実を幸せを感じられる居場所だった。
心のふるさとになっていた。

でも、社会人になった今、ここでちゃんと価値を生み出さないと自分はいてはいけない。そんな風に思ってしまっていた。

いつのまにか、広田町が私の居場所じゃなくなっていた。
広田町にいる自分は幸せを感じられなくなっていたんだ。

ショックだった。涙が止まらなかった。

でも、その時、一人のAAの仲間が声をかけてくれました。

幸せになっちゃいけない人間なんていない。俺はあやかの幸せを願い続けるよ

心がふっと軽くなった。
ずっと抱えていた心の黒くて重いものがふわっと消えた。

日本に帰って来た私は広田の家族のように接してくれているばあちゃんに電話した。

「おかえり。無事帰って来てばあちゃんは一安心だ~」

私の居場所は、確かにここにあった。

そう感じた時、改めて思った。

私は、誰もが心のふるさとを持ち、自らの意志で未来を切り拓ける社会を創りたい。

強くてキラキラした意志で前に進み続けるだけだと人はいつか疲れて倒れちゃう。だから、ちょっと弱っている時にも「ここがあるから大丈夫だ」と安心して心と体にエネルギーチャージできるところがやっぱり必要だ。

だから、まず私は大好きな陸前高田で暮らすということそれ自体をもっと楽しもう。心のふるさとを取り戻そう。

私は今回の仲間に約束をして帰って来ました。

「自分の存在否定だけは絶対にしない。
今、ここに生きていることに自信を持つ。」

この夏、愛ある仲間(とっても尊敬する先輩方)に出会えて本当に幸せです。

本当に心からの感謝。

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Ayaka Ueda
Ashoka Japan

「高田と僕らの未来開拓プロジェクト」@陸前高田 / Ashoka Japan leverage/ 東京生まれ東京育ち / 大学卒業後、陸前高田市広田町へIターン移住 / 社会人2年目 / 地域活性化×キャリア教育で日本の田舎の教育を変える共育者。