私は被害者だと偽りたがる人達は。

Hiroshi Murakami
Ashoka Japan
Published in
8 min readSep 24, 2018

9月16日に東京で開催された「第11回 We Are The Change」で少し遅い中間報告をしてきました。

今回はその中間報告のプレゼン内容を文章に変換してお届けしたいと思います。

ずっと行きたかった音のアーキテクチャ展に行きました。

「この社会には僕の居場所がない」
僕は、今までずっとそう思いながら生きてきました。

僕は繊細だから周りの目が気になって、でも自分に興味あることしかできなくて、自分の中の違和感に嘘をつきたくなくて。
そんな僕は、学校という場所が合わなかった。

だから僕は、小中5年間不登校・引きこもり・高校中退を経験しました。
いわゆる機能不全家族で育ってきましたし、ネット上に作り上げた空想の人物で毎日を過ごしていていました。
少しでも笑うと表情筋が筋肉痛になっていましたし、外の空気はいつもどこか甘かった記憶があります。

でも、僕はいろんな人に支えられながらなんとか生きてこれました。
「生きてていいんだ」って思えました。

だからこそ、今度は僕が、過去の僕と同じように自分らしく生きるが故に社会に排除される人をサポートしたいと思いました。

そう思って、こんな活動をしています。そしてこれからこんな活動をするつもりです。

これは、僕はユースベンチャラーに認定されたプレゼンの前半部分の概略だ。
「辛かったんだね」「頑張って生きてきたんだね」「頑張ろうとしてて偉いね」
そう思った人もいるだろう。
そんなお涙頂戴な物語だ。

だが、この物語の主人公の言動と感情は偽られているのだ。

ユースベンチャーになってからも僕は活動を続けていた。東京や京都・岐阜など各地でワークショップや対話会を開いたりしていた。

京都で教育に関する対話会を開いた。

話してほしいと呼んでいただけることも少しずつ多くなっていった。

飛騨高山で地元の高校生に対して話してきました。

しかし、どんどんやる気がなくなっていって、活動することが徐々にしんどくなっていった。
ASHOKA JAPANのスタッフさんにこのことを話した時「ワクワクしてる?」と聞かれた。「してない」と即答した。

思えばずっと「事業をすることやイベントを開催することは自分の幸せに繋がっているのか」と疑問に思いながら活動していた。

京都で投資家などの前でピッチプレゼンを行いました。Photo by Toru Harada

その疑問は、この時“繋がっていない”という確信に変わった。
その確信を深く掘り下げてみるとこんな仮説に出会った。

「僕はこれまで、虚像の僕が主人公の物語を作ってG行為をしていたのでは?」

確かに僕は、小中5年間不登校・引きこもり・高校中退を経験した。これは紛れもない事実だ。
いわゆる機能不全家族で育ってきたし、ネット上に作り上げた空想の人物で毎日を過ごしていた。これも紛れもない事実だ。
少しでも笑うと表情筋が筋肉痛になってたし、外の空気はいつもどこか甘かった記憶がある。これもだ。

ただ、僕はそこに痛みを感じていなかった。

小学生くらいまでは痛みを感じていた記憶がある。
外に出ては公園で遊ぶ親子がとても幸せそうに見えて、幼い僕の羨望の眼差しからは時々静かに涙が溢れていた。
でも、いつしかその涙は流れなくなった。
心が麻痺したんだろうと思うし、周りとの間に壁を作ったんだろうとも思うし、歪んだ解釈をしたんだろうとも思う。

痛みに向き合うことに疲れてしまったのだ。

ある日突然、家から人が消えていた。形骸化していた僕の家族はその“形骸”すらも失った。
痛みなんて全く感じなかった。嬉しくも悲しくもなかった。

だから、僕は「夜逃げしちゃったんですよね」って毎回笑いながら言っていた。

僕はどうしようもなく孤独だったのだ。社会との接点を失いかけ、自分との接点も失いかけていたのだ。

ユースベンチャーに認定されたときのプレゼン

そんな僕は、自分の人生から一般的に辛いとされるものを選択して無理やり線で繋いで、虚像の暗闇の中で希望を捨てずにもがいているという物語を作って見せていた。しかも「あなたが悪い」と言われないように、虚像の暗闇にいることを正当化できる偽りの理由も添えて理論武装で周りを攻撃していた。

そんなG行為をすることが、自分を社会に繋ぎ止めるために残された最後の手段だった。そうやって過去の自分を消費していった。

そうすると、僕はちょっとずつ社会との接点を取り戻せてきた。だが、その僕はいつでもその作り話をぎゅっと握りしめていた。 握りしめれば握りしめるほど「誰も僕のこと分かってくれないんだな」という絶望は知らぬところで深くなっていった。

そう。
社会との接点を少し取り戻した僕は、自分との接点を失いかけたままだったのだ。たとえコミュニティに入れたとしても、そこにいる僕は虚像の悲しい僕で、だからこそ愛されている。無意識のうちにそんな思考に支配されているのだ。

そして、僕にとって活動とは、虚像の暗闇にいることを正当化できる理由をつくるためのものだったのではないか。そう思った。

そう思ったときに、活動することがしんどくなることはとてもいいことだなと思った。
なぜなら、それは自分が満たされつつあることを証明しているからだ。

山中湖で開かれたYV合宿

「本当の君にしか興味ないよ」

ありがたいことに、今の僕には居場所がある気がしていて、好きって言ってくれる人がいて、好きと思える人がいる。
そして、その人達のおかげで本当の痛みを自覚することができて、自分との接点を取り戻そうとすることができている。
また、その人達が僕のことを支えてくれるのは、僕が辛いとされる過去を持っているからではないだろうと今は思える。(間接要因ではあると思うが)
ただ単純に、僕という人間が好きなのだ。そう思えて、愛を少し素直に受け取れるようになってちょっと楽になった。

では、満たされつつある僕はこれからどう生きるのか。

社会から問題はなくならない。死にたいと思いながら生きる人はいなくならない。僕には何もできない。
目の前のおっさん一人助けられない。死にたいと呟く母親一人助けられない。

僕は最近「社会をどう変えたい?」という問いよりこんな問いの方がしっくりくる。

「誰とどんな風に生きていきたい?」

すべての始まりはここな気がしていて、その延長線上に社会を変えるような本質的な事業や活動があると思っている。

僕はまだこの問いにはっきりとは答えられない。
なぜなら、自分の中にあるポジティブな感情があまり感じられないからだ。しかし、最近ふと「この感情がそうなのかな?」と思うときがたまにある。
だから、今僕がやるべきことはいろんなものに触れていろんな景色を見ることなのではないだろうかと思う。目の前の人に対してちゃんと向き合うことなのではないだろうかと思う。
だから、今僕は一般的に社会活動とされることはしていない。今僕がやっても本質的には誰も幸せにできないと思うから、というのもある。それでいいと思っている。いや、それがいいと思っている。

気仙沼にてユースベンチャープログラム元代表の矢部さんと。

「私は被害者だ」と偽りたがる人達は

どこにも居場所がない人達なのかもしれない。ちゃんと見守られてるって、愛されてるって、支えられてるって実感できない人達なのかもしれない。
生きるということに安心できない人達なのかもしれない。

僕は、誰しもにそういう一面があると思っている。
今この文章を読んでいるそこのあなたにも。
だから、まずは自分で自分をぎゅっと抱きしめてあげてほしい。そして、もしあなたに余裕があれば、目の前の人を抱きしめてあげてほしい。

それを伝えたいなという思いと、誰か共感してくれる人いるかなっていうバカみたいな期待を抱えて、僕はこのどこか偽られているであろう文章を書きはじめた。

そんな複雑な感情を抱えたつもりになって、そしてそれをほぼ自覚したつもりになって、自分で自分を抱きしめたつもりになって公開ボタンをクリックした。

--

--