自分の言葉で話す

moe
Ashoka Japan
Published in
3 min readJun 3, 2020

以前こんな内容をブログに書いたことがあります。

語り合いatrium自分の中にすっと落とし込めることばについて

万人が同じイメージを持つことができるよう話すことが大切な場面も
もちろんあるけれど、自分にとってしっくりくる言葉で表現したい

といったものです。今回も少し似ています。

話すことは何のためか

・こんな経験をして、こんなことを考えた、こんな風に感じた!
・このときの気持ちはこうだった!

と話すと「それは〇〇という反応だね」と返ってくることがあります。

・こんなことで行き詰まっている
・今はこんなことで頭がいっぱいだ

と言えば、「大人になったらちっぽけに感じるから大丈夫」
と返ってくることがあります。

きっとそれは珍しいことではなくて正常な反応や特性だと
伝えてくれていたり、そんなことで立ち止まらなくていいよ
と教えてくれていたりするのだと思います。

たしかに私が今までに悩んだことは、
小さくて大したことないのだと思う。

今考えていることや感じていることは、
もうすでに誰かが思いついていて、誰もが通ってきたもので、
「名前」のついた普遍的なものかもしれない。

もしかしたら
当たり前すぎて誰も口にも文字にもしないのかもしれない。

そんなことも、あ〜なるほど、そういうことか!と思えない私が、
ひねくれていることもわかった(つもりな)上で

パターン化して一言で結論づけないでほしい。
こんな考え自体が「それは〇〇という反応だね」と言われてしまいそうですが。

ことばを選ぶ理由

ただ、これは 心理や反応の名称を言わないで、
放っておいてという意味ではありません。

「名前」は

安心材料にしたい。

自分の状態を受容するために使いたい。

対処を必要としたとき、自分に合うものを見つけるための素材にしたい。

わがままをいえば、言葉を返してくださる方も、その人自身が
これだ!と思った言葉で返してくれるとめちゃくちゃ嬉しいな、、、
ということです。

きっとすでに名前のついたものであっても、
そこに行きついたのには、経験とか背景とか、
気持ちが揺れた理由や大きさはそれぞれなはず。

私はそんなことが詰まった話がしたい。
今あるたくさんの言葉を丁寧に選びたい。

もともとあることだって構わない。

将来「なんだそんなこと」と思うかもしれなくてもいい。

私は今ある語彙や自分の五感を使って、自分の言葉で話します。

よっしゃ付き合ってやろうじゃないかという方お待ちしています☺︎

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moe
Ashoka Japan

兵庫県立舞子高校環境防災科13期生 減災活動団体akari/語り合いatrium Ashoka Youth Venture36th