Nanami M
Ashoka Japan
Published in
5 min readAug 29, 2017

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高校最後の夏休み!

私はこの夏休みに、語り部で四国は香川県高松市に行って来ました!

7月に愛媛から来てくださった白石さんがハンセン病療養所へ40年も通い、患者さんの心のケアに努めて来た方で、ぜひ来て下さいとご招待していただきました。

初西日本!初四国!とても楽しく過ごさせてもらいました!

高松市ではハンセン病療養所がある大島青松園へ行きました。

香川県高松市には大島という島があります。大きい島と書いて大島。でも実際は港の海岸から反対側の海岸まで徒歩で10分もかからない小さな島です。そんな小さな大島には、かつて740人もの人たちが住んでいました。その人たちは、昔からこの島に住んでいたのではなく、島の外から来た人です。いえ正しく言うと連れてこられた人たちです。小学生や中学生の時に、お父さんやお母さんから引き離されて、この島の中に閉じ込められた子ども達もたくさんいました。

どうしてこの島に連れてこられたのでしょうか。昔、日本にはハンセン病という病気がありました。その病気は今から60年も昔に治るお薬ができたのに、他の人たちに「うつる(伝染する)」かもしれないと怖がって、この島に療養所をつくり病気の人を集めたのです。でもお医者さんや看護婦さんは少なく、病状の軽い人が病状の重い人の包帯をかえたり食事をつくったり身の回りのお世話もしてきました。

ハンセン病は「らい菌」という菌が目や皮膚に入り、失明したり、指や顔の一部がなくなっていく病気です。お薬ができたおかげで「らい菌」はなくなりました。だからもう誰かに「うつる(伝染する)」という心配はありません。ただ病気でなくした目や皮膚、神経は元に戻りません。病気が治っても体が痛いとか、他の病気の原因になることもあります。後遺症です。

その後遺症が残っていることで、他の人たちにまだ病気はなくなっていないと勘違いしました。後遺症の治療も島以外の病院では診てくれませんでした。そしてふるさとに帰ることも、島の外の大学に出て勉強することも、子どもをつくることも、好きな仕事につくことも許されず、後遺症に苦しみながら作業をしながら暮らしてきたのです。

多くの人たちがふるさとに帰ることができないままこの島で亡くなりました。人は亡くなったらお墓に入ります。でもこの島の人たちのほとんどは納骨堂という共同のお墓の中で眠っています。亡くなってもふるさとの家族と一緒にお墓に入ることができなかったのです。

家族の人も病気の人がいるということを内緒にしてきました。家族からも病気が「うつる(伝染する)」のではと思う間違った考えの人もいたからです。昔病気だったからという理由だけで、何十年も小さな島に閉じ込められて、亡くなってもふるさとに帰ることができないのです。その人たちの声をもう聞くことはできません。

今、この島に残る元患者さんは68人になりました。子どもの時にこの島にきて、おじいちゃん、おばあちゃんになりました。

私は当時小学五年生で療養所へ来てから、以後大島青松園で生活をされていた、磯野さんにお会いしました。

磯野さんも療養所へ来てから、遊びに島を出ることがあっても、家族の元へは帰れていないそうです。

でも磯野さんはそのような過去がまるで無かったかの様に明るくそして、大笑いしながらお話をしました。

情報源が普段の私たちからしたら本当に少ないのにもかかわらず、まるで私たちと隣り合わせで暮らしているように物知りで、世の中のこと、政治のこと、私が教えてもらう立場でした(笑)

私が行った日は大島青松園夏祭りの日で、療養所にいる方以外にもたくさんの方が来ていて、徳島県知事、香川県知事、国会議員も来ていました。

夏祭りは思っていた以上に大規模で、四国をめぐるかのように本場のよさこい踊りや阿波踊りを見ることができました。

本当に貴重な経験や学びの機会を得ることができました。ありがとうございました!

次の日もほんの少し高松市内を観光したのち東京へ帰りました。

また一年以内に行くことを約束しました。次回はもっと予定を空けて訪れたいです。

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