25年

moe
Ashoka Japan
Published in
3 min readJan 31, 2020

25、この数字で何を思い浮かべますか?
25年、「年」がついたらどうですか?

兵庫県南部地震が発生した1995年1月17日から25年が経ちました。
私はこの2か月ほど、あらゆる場所で“25年”を耳にしました。

阪神・淡路大震災から…と書かなかったのは
(普段は明確に「兵庫県南部地震から」とは言いませんが)

「今も誰かにとっての震災は続いとんや」と感じた1か月だったからです。

すこし話を戻します。
あらゆる場所で耳にした25年は、私が関連する活動をしているからか、
時期的に敏感になっているからか、本当に報道や人々の言葉でよく使われたからか25という節目だったからかそれはわかりません。

ただ、節目というのはなんとなく人の関心を向けるものになるのかもしれないとも感じた1か月でした。

私が、“防災を専門的に学ぶ学科”のある高校に入学したのは,
20年を迎える年度だったと思い出しました。

akariとしてだけでなく個人的にも、参加させていただいた震災関連の行事等について書こうと思っていましたが、思ったことは本当にたくさんあるのにうまく文字にできなかったのでもしできたらまた書きます。

話は大きく変わりますが、
1月に私が考えた「わたしが本当に伝えたいこと」は何か。

防災活動をしている私ではなく、安田もえとして結局何が言いたいのかを考えました。

命って近くにあるな

だと思います。

はっきりこれだと思ったわけではありませんが、確実に伝えたいこと。

命について話すことなんて本当に少なくて
少ない理由もなんか恥ずかしいとか、重いとか、
そんな簡単に死なないしみたいな

そんなことだと思うんです。
でも、いざなくなったら後悔するのに。

起きる前に気づいてほしいと心の底から思っているから
私が伝えたいのは命というか、生き死にって目を向ければ、

すこし視点を変えればたくさんあって、突然やってくるものなんですってことではないかと。

語弊はあるかもしれませんが、高校の先生の言葉を借りると
「取り返しのつかないことは本当に少ない」
死はその取り返しのつかないことの1つであって、
1番大きなものだと思います。

でもやっぱり急に、身近な人に話しにくいじゃないですか、命のことって。
また、災害がもたらす取り返しのつかないことは、他にもたくさんある。

だから、何か考えたり話し始めたりできるきっかけを作りたいんだと再確認しました。

昨年までとは違った思いで始まった2020年。
3月にはWe are the change で、2度目の中間発表をさせていただきます。
わたしのことばで話すのでよろしければ聞きに来てください。

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moe
Ashoka Japan

兵庫県立舞子高校環境防災科13期生 減災活動団体akari/語り合いatrium Ashoka Youth Venture36th