3/22 げんたDay 1「多様性」

Genta Suzuki
Ashoka Japan
Published in
3 min readMar 24, 2019

現在、ぼくたちユースベンチャラー6名・スタッフ2名の8名はアメリカ・NYを訪問しています。

今回の渡航では現地での活動発表のみならず、様々な分野で活動する複数の社会起業家と交流する機会や現地の大学で意見交換する機会が設けられています。

ユースベンチャラーは毎日、各自が自由にテーマを設定したうえで記事を執筆します。

ぼくはこの記事作成の機会を自らの問いの言語化の機会として利用したいと考えています。一般には、活動報告は学んだことや得たことなどの成果をアウトプットする場とされているので、読者の皆さんにはこの記事で多少読みにくい部分があったり、歯ごたえが悪かったりする点があるかもしれません。前もって記しておきます。

ぼくの主な関心は、建築や都市工学と呼ばれる分野です。特に少子高齢化などの社会的な変化に対して、それぞれの都市における地域コミュニティや自然との関係がどのような形態をとることが望ましいのか、考えたいと思っています。

(ぼくの活動内容の詳細はこちらhttps://www.facebook.com/takedekizukou

1回目となるこの記事では、NYに拠点を構える非営利団体Eye to Eyeへの訪問について書きます。

Eye to Eyeは、ADHDなどの発達障害の子どもに対して、学校と連携しながらメンター制度を整備する団体です。

メンバーは、皆が多様であることを認め、だれもが前向きに生きることができる社会を作ることを重要視していました。なんでも国民性と結びつけてしまうことは乱暴ではありますが、特にNYの多様性を認める地盤が、この活動が生まれた背景となっているのではないかと感じました。

ぼくは、多様性という言葉をうまく理解しきれていない気がします。もちろん多様性を認めようとする姿勢が大事だということに関しては強く感じています。ただ、その多様性、という言葉をぼくが理解していて、実際に多様性を認めることができているのかというと、そうではない気がします。

なぜかというと、多様性という複雑な状態と、ぼくたちが無意識にも物事をある程度抽象化(グループ分け)しながら認識することを同じ土台で考えることができていないからです。

今回の話を聞くまでは、団体や地域へのコミュニティに対して帰属意識を持つことが、内と外に区別していることであるために、本質的に多様であることと相反しているように感じていました。

その背景には、ぼくが日本の地方に住んできて、地域の伝統的な関係性に魅力を感じているということがあるのだと思います。以前は他人との関わりが現在に比べて非常に少なかったので、現在の多様性の視点から見れば不十分に感じられがちなのです。

このことはぼくにとって一種のジレンマでしたが、今回の話が多様であることと、帰属意識を持つことを別の軸のものとして捉えるきっかけとなりました。

これ以降、具体的に自分のなかでどのように捉えなおすのかということについては、ゆっくり考えていきたいと思います。

ただ、はっきりと気づいたことは、今まで日本の伝統的な、基本的に他者が想定されない地域で生活してきたので、ぼくにとって今回アメリカ、特にNYに来れたことはとても意味のある経験だということです。

まだ滞在する時間があるので、残りの時間も大切にしながら過ごそうと思います。

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