3/24 げんたDay3 「居心地」

Genta Suzuki
Ashoka Japan
Published in
3 min readMar 30, 2019

NYからフィラデルフィアへ移動し、Swarthmore大学に到着しました。今日(といってもこの記事を書いている今は27日ですが)から3泊キャンパス内の家にホームステイしながら、活動発表や大学生との交流をする予定です。

ウェルカムパーティののち、ホームステイ先の家族と共に食事をとりました。今日は移動と発表準備がメインだったので、閑話休題プログラム以外の感想を書こうと思います。

ぼくたちは目的地へ向かう際にはよく、観光がてら徒歩で移動しています。おかげで毎日1万歩達成しています(祝)。高カロリーの食事で相殺されていますが。

ぼくはまちを歩くのが好きです。都市計画に興味があるので、まちを観察して、リアルな雰囲気を味わっておきたいというのも、今回のプログラムの個人的な目標です。

NYに来て初めて感じた印象は、道路に対して、建物の高さがとても高いということです。建物の高さに対する道路の幅の比を表す「D/H比」という用語がありますが、そのD/H比がとても小さいです。一般には、それは圧迫感につながるとされています。

でもなぜか、ぼくはそのような居心地の悪さを感じませんでした。

振り返ってみて気が付いたのは、歩いているときに視線が上を向かず、前を向いているということです。

ぼくは日本の都心部に行くとよく上を見上げてしまうのですが、NYではありませんでした。その理由の一つが、NYの街並みは、ビルというよりも、「ストリート」として一体感を持っているからであると感じています。

建物が煉瓦や石でそれぞれ統一感があったり、下層部と上層部で異なる意匠を施していたり、ビルとビルが接していたり、詳しくは分かりませんが、歩いていてこれらがビルであるという感覚はありませんでした。日本でいう「ビル」の感覚を受けたのは、例えばエンパイアステートビルや1 WTCで、むしろ東京タワーやスカイツリーのような「タワー」に近いように感じました。

建物の高さと道幅の比で捉えるというよりは、道幅と、まちを歩いているときに人間が認識する建物の高さをそれぞれ絶対的に把握したほうが適してるのではないかと思うようになりました。スケールは人間であるために比は同じでも開放感、もしくは閉鎖感を感じることがあるからです。

また、開放感と、道に迷う(居場所を失う)感覚は近いイメージに思えています。ぼくが良いイメージを抱いたら「開放的だ」とか、「居心地が良い」といった感想を抱き、逆に悪いイメージを抱いたのであれば、「閉鎖的」だとか、「居心地が悪い」といった感想を抱きそうな気がします。なにが要因でこのような違いが生まれるのか、これから都市について深く学ぶときも、歩いた時の感覚を大事にして考えてみたいと思います。

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