How is the world different because you are here?

Re+Fukushima Lab (M.Kimura&K.Yuzawa)
Ashoka Japan
Published in
5 min readSep 27, 2018

久々に書きます。
2016年10月にASHOKA Youth Venturer(YVer)に認定されました、湯澤魁です。福島の仲間たちと、福島第一原発の廃炉への若者の参画を促進するプロジェクトを進めてきました。

2018年7月@福島第一原子力発電所

私は現在、大学を休学して福島県白河市にあるコミュニティ・カフェで働いています。地域の高校生にとってのサードプレイスであり地域との接点であるカフェで、高校生や地域の皆さんと触れ合う日常を送っています。
http://emanon.fukushima.jp/

2年間のASHOKAとの関わり、とりわけ他のYVerとの対話やASHOKAの考え方を学ぶ機会を通じて、今の自分のありたいあり方(being)を、「内発的動機に基づいて行動する人の伴走者」とひとまず仮置きし、ここ白河でも高校生の伴走者であろうと日々精進しています。

カフェの軒先で地元の高校生たちと

「内発的動機に基づいて行動する」
これはまさに日本におけるASHOKA Youth Venturerの認定基準となっています。誰に言われたからでもない、自分が自分であるために行動する。自分のワクワクを大事にしたり、日常や社会のオカシイに向き合って自分主語でアクションを起こす。
私は自分がそうありたいし、そんな人と一緒にいたいし、そんな人を増やしたい。私自身、自分の内側に耳を傾けるのは得意じゃないし、なによりも行動にうつすのが苦手。でも隣に伴に走るひとがいれば内省したり行動を起こしたりできるかもしれない。

内発的動機に基づいて行動するとはどういうことなのか?私にとってとても大事な問いにヒントを与えてくれているのが、他のYVerの存在であり、YVerを認定するパネル審査会です。だから多少無理をしてでも9/16の”We are the Change”には参加したくて、お祭り真っ只中の白河から弾丸で上京しました。

“We”前夜遅めにYVerたちに合流すると、初対面同士もいるなかで、「愛とは何か」「優しさとは何か」「ふるさととは何か」等々、自然とみんなで深掘りが始まっていました。日々内省と行動を繰り返している同志だからこそ、お互いを肯定したうえで問いを投げ合えるこのコミュニティがやっぱり好きやなあと再確認しました。

そして迎えた”We”のパネル審査会。プロジェクトの質やプレゼンの質ではなく、プレゼンター個人の存在を問われます。パネリスト(審査員)の多くはASHOKA外部の、社会起業家や企業、教育関係者など様々なセクターの方が務めますが、一様に個人にフォーカスした問いかけが鋭く、人に焦点を当てるのはASHOKAの内輪だけでなく、社会で重要視されているのだと毎度実感させられ、身が引き締まるとともに安心もします。

今回のパネルはいつも以上に張り詰めた空気のなかで行われたように思います。「あなたにとって”ときめき”とはなんですか」「あなたにとって”政治”とはなんですか」といった定義や原体験を聞く質疑も多く、作られたストーリーやロジックを超えた自己開示が求められました。それが「審査」の場で求められるのが厳しいところで、自分が肯定されている安心感のもとで自己開示するわけではなかったために、プレゼンターの根っこの部分が見えなかった悔しさがありました。僕ら会場にいたYVerがもっと「肯定しているよ」というメッセージを事前あるいはその場で伝えるべきだったと個人的に後悔しています。プレゼンター両名ともに、想いを行動に変えている、そこに試行錯誤が伴っていると感じられたので尚更、きれいなストーリーではなく、清濁合わさった根底の部分を聞きたかった。二人の取り組みやエネルギー尊敬してます。また会える日を楽しみにしています。

なぜなぜを繰り返したり深掘りするのは本質に近づく。ただ、言語化することで輪郭が与えられて、その輪郭に逆に縛られることもあります。最近の私はまさにその状態で、「自分はこういう人間だ」と(仮置きだと認知しながらも)ひとつの答えを見出した時に、「だからこれに適する/適さない」と、矢印を一本にしてしまう。何度も何度もその時の自分に問いかけて破壊と再構築を繰り返す勇気と、あそび(余白)を持ちたい。また、「自分は○○(be)だから○○する(do)」ではなく、「○○する(do)から○○(be)なんだ」と、行動を積み重ねた結果が自分自身なんだという考えに触れて、少し希望が見えた気もしている今日この頃です。

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