ユースベンチャーは次のステージに入ります!

Entering the second phase of Youth Venture in Japan

5年前に、日本でYVを本格的に始める引き金となったのは、米ワシントンにあるGlobal Givingからの寛大な助成金のお陰だった。東北の震災から半年経った頃、「震災で引き起こされた綻びを若者が変える」ための取り組みに対する経費を捻出するための助成金を申込んだ。するとすぐにGlobal Givingから送金があり、「東北ユースベンチャー」を開始したのが、2012年1月だった。3月に矢部と林(津和野の活性化に取り組んでいる)という志とビジョンを分つ2人がスタッフとして加わり、一気に取り組みを進めた。

最初の年のゴールとしては、20才以下の1000人の学生にYVの存在について知らせることだった。そして「これはおかしい。自分はそれを変えるためにこんなアクションを考えた。」という若者が手を挙げるのを私たちは待った。3人がそれぞれ、学校や若者グループで話す機会を逃さず、社会起業家マインドを持つ若者を募っていることを知らせた。約1000人のうちから、9人が手を挙げた。そして2012年7月気仙沼で第一回の審査パネルを開催した。審査パネルでは、私たちのビジョンに共鳴する3人のパネリストの前で、数人が自分のアイディアとアクションを発表した。それからは,日々出合う新しい変化に合わせてリクルートのやり方や、審査パネルのデザインなどをどんどん変えて今のやり方が形作られてきた。この4月29日に29回目の審査パネルを東京で開催し、その時点で83チーム、チームメートを勘定に入れて300人を超える「若者チェンジメーカー」が誕生している。

2012年からYVの取り組みを率いてきた矢部が、4月を最後にアショカから離れ、東北で巣づくりをする準備を始矢部は、若者の心に入り込み、彼らの奥に潜む想いや力を自然に引き出すという希有な能力に恵まれている。YVの基盤創りは、この矢部の才能に依存するところが大きかった。 2012年から2017年4月までのYVを「第一章」とすると、今月から「第二章」が始まった。第一章が、「初志に逸れない本質的な基準を目に見える活動にすること」だとすると、第二章は、出来上がったモデルを「改善しながら拡大し、深めること。」だ。この場合、「拡大」とは、まず地理的な拡大を意味する。つまり国内でもっと広めること。チェンジメーカーの数が多ければ多いだけ日本の未来に期待がもてる。教え込まれたことを忠実に繰り返すことを叩き込まれた人たちは、急激な変化が形づくる新しい世界に居場所はないだろう。同時に、「広がり」が意味することは、日本だけに閉じこまらずに他の国のユースベンチャラーと繋がり、15年後のリーダーたちが人種や国籍を超えて一体となって世界を変革するという感覚を自分のものにできるマインドセットの基盤をつくることだ。ここでYVに関わる私たちが、肝に命じなくてはならないのは、拡大を焦って本質を見失わないようにすること。また、深めることばかりに集中してコンテクストを忘れてはならないということ。 第二章は一章に負けず劣らず高い能力を持つ新しいスタッフ、中川七海と渡辺真帆と3人4脚で進めていく。当然、YVの卒業生も強力なチームメートだ。大きな目標に近づくための行程には、確固とした戦略と石ころだらけの道を前進するための鋭いアンテナと柔軟な心に裏打ちされたタクティクスが必要だ。エンパシーと障害をチャンスと捉える逞しさというASHOKAの遺伝子を持つ皆と一緒にYVを成長させて行こう。

5月1日 渡邊奈々

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