YCE 報告会

Uruka Naruge
Ashoka Japan
3 min readJun 30, 2019

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3月にアメリカを訪れた Youth Changemakers Exchangeの報告会をしてきました。

一緒に行ったみんなの報告プレゼンでそれぞれの振り返り、変化したこと、新たな疑問を聞き、たしかにこういう風に捉えられたよな、というようなまた新たな振り返りもできました。

一方で、私の報告はただこんなことがあったよ、という見聞きしたものを伝えただけになってしまったような気もします。

帰ってきてから勉強に追われる面が多く、得られたことをこの3ヶ月自分の活動に生かせていません。
ただもう少しで新しいこと、これまでとは少し違ったようなことが出来そうです。私がいる場所だからこそできるかもしれないことに気づきました。また報告します。

報告会では、報告者一人ずつがそれぞれの問いをもち、興味のある人たちがそれぞれ集まってその問いについて話し合うというグループワークを行いました。

私の問いは、
「人が自分を肯定できるようになるのはどのような時か」
です。

私の中での仮説として、こうあるべきという自分への評価軸や縛りを外してくれる人や、物に出会ったときに人は自分を肯定できるのではないかと考えています。
その仮説をもとに動いているけど、もう少し何かあるような気もしていました。

だから、これを今回参加してくださった皆さんと見つけてみたいと思いました。

参加してくださった方からは、環境が変わり自己肯定感が上がった方や、ホースセラピーをされている方、それから他にも様々、参加してくださった方々が自分が自分を肯定できるようになったときなどについて話してくださいました。

他者やほかの物、環境から得ている話が多く出た中で、一番印象に残ったのは、自分で自分をなんとかしないといけないとことまで行きついたという方のお話しでした。

私自身、元々不登校ということもあってかしんどさを抱えている人からご連絡をいただくことも多いです。

ケアをする場、自分の中で一番身近な場所だと不登校の親の会がありますが、自分たちは可哀想だというところで止まってしまって、そこで悪循環している環境がたまにあるように感じています。
※もちろん、すべての場所がそうというわけではないです。

悩みやしんどさを話し合い、それを理解、受け入れられる場所はとても大事だと思います。

ただ、そこで終始するのではなく、段階的に見据えていないと、そこから出る人を攻撃したり、壁をつくってしまっている気がします。
そこから次の選択肢を準備する必要や、なにかの選択肢を選ぶ必要があるように感じます。

グループワークを行ってから、言語化が少しできたような気がしました。

動きたくても動けない時期に、自分を肯定できる、またはしてくれるような人や物に出会うこと、それから、自分自身で動き出せるような何かが必要なのだと思いました。

一方で、もしかしたら自分は一般に言われる強者の言葉というものを使ってしまっているような気もしています。何かここ違うんじゃないか、というのがあったら教えていただきたいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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