デヴィッド・ボウイのこと

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B-side / Perspective_7A
3 min readJan 11, 2016

受験に失敗し、18で浪人生として仙台に出てきてタワーレコードを知った私は、こんな天国がこの世にあるのかとばかりに、勉強そっちのけでタワーレコードに入り浸っていた。
自分より面白いものを知っているはずの姉や兄を持たない私は、そこで初めてポップ・カルチャーというものに触れた。

見た事も聞いた事もないアーティストのCDがアルファベット順に並ぶ店内は、埃の匂いと、片隅で売られていたカルバン・クラインの香水の香りと、輸入盤CDのプラスチックとシュリンクのオゾンのような匂いが入り混じっていた。私にとってそれは自分の知らない、薄暗がりから始まる大人の世界の象徴だった。

何も知らない私は、手当たり次第にCDを買うお金が湧いてくるでもなく、店内に置いてあるフリーペーパーや『ロッキング・オン』などの雑誌を読み漁り、どのようにCDを買うべきか、大まかな戦略を立てた。まず、自分が嫌いでない事がわかっているロックを掘り下げてみよう。18歳の私はそう考える。昔から活動しているアーティストなら、たくさんのアルバムを出しているはずだ、私はそう考える。

そして、私はシュリンクに包まれた薄緑色のCDジャケットを手に取る。

David Bowie, Aladdin Sane

振ると、微かにカチャカチャと音がする。

ライコ・ディスクのCDのケースは他のものより劣化が早いのか、CDを納めておく真ん中のはめ込みの部分が割れている事が多かった…

ポジティブなギターの爆音から始まるこのアルバムを何度繰り返し聴いただろう。

大して多くもない小遣いを叩いて、私は次々とボウイのアルバムを買った。

ボウイの音楽はカメレオンのように色を変える。だが、色が変わってもカメレオンであることに変わりはない。奇を衒った衣装やアルバムのコンセプト。それでいて、ボウイにしか歌いこなせないあの美しいメロディ(なぜイギリス人はあれほどシニカルでいて衒いのない美しいメロディを作るのだろう?)

聴けばいつも、あのタワーレコードの匂いと、ピーチネクターの味と、朦朧とするほど暑いところから冷房の効いた店内に一歩足を踏み入れた時の汗がスッと引く感覚がフラッシュバックする。ここから私の人生が始まるんだ、という根拠のない確信と、その確信からくる高揚感に浸ることができる。

自分の身体が生まれた時を覚えてるひとはいない。だけど、自分の精神が生まれた時は覚えているものだ。私は、この時に産まれた。私の(精神的に幼かった)幹にデヴィッド・ボウイは新しい異質な枝を接ぎ木した。それから二十年以上が経ち、私の中のボウイの接ぎ木は、最早どこからどこまでがオリジナルの自分だったのか見分けがつかないほどに渾然一体となっている…

さよなら、デヴィッド・ボウイ。生きているうちにあなたが知る事はなかったし、知る必要もなかったけれど、あなたは確実に私という人間を形作ったのです。

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