血統

7A
B-side / Perspective_7A
7 min readMay 11, 2017

もう何年も前になるけど、Mさんという知り合いがいた。全くの他人で、実は苗字だけしか知らない。

Mさんは小柄な男性で、白髪の多くなった分厚い髪の毛を無造作にカットしていて、60歳ぐらいに見えた。Mさんはバッグのデザイナーだったが、知り合うきっかけはバッグともデザインとも何の関係もなく、私の夫が持っているクルマだった。

ある日、夫が「クルマのワイパーにへんなのが挟まってた」と言って、5行程度のメッセージが書かれたカード(というか紙の切れっ端)を見せてくれた。文面は誤字だらけで怪しさ満点だったが、要するに(夫のクルマはそこそこ珍しいクルマだが、ヴィンテージ・カーというほどではなく、1962年製造開始から1980年の製造中止まで大したモデルチェンジもなく売れ続けた、英国製の安価なスポーツカーである)古い英国車に乗っている仲間で集まって情報交換やツーリングをしています、ご一緒にいかがですか、という、いまでいうTwitterでのオフ会の誘いのようなものだった。夫は怖いもの見たさ半分(それぐらい誤字がひどかった)で出かけて行った。当時はインターネットもPCがメインで、掲示板などではいざ知らず、オフ会はそこまでポピュラーではなかったこともある(夫の携帯がSONYの『プレミニ』だったのを憶えている)。その集まりに来たのは60過ぎのおじさん連中4,5人だったのだが、Mさんはその中の一人だった(メッセージを書いたのはMさんではなかった)。

Mさんは恐ろしく変わった人だった。夫は、その集まりから帰ってきて真っ先にMさんのことを話題にした。「カニ目(オースティン・ヒーレー・スプライトというクルマ)のボンネットを荒縄で縛っててさあ」と夫は言った。夫は度肝を抜かれたらしい。修理しながら乗るのは旧車乗りにはよくあることだし、ましてや英国車乗りだったら自分で修理したりカスタマイズしながら乗るのは(ほとんど)当然だ。オースティン・ヒーレー・スプライトといったらかなりかわいい、良いクルマである。それを、修理しながら乗るとはいえ、事もあろうにボンネットを固定するのに荒縄なんて聞いたことがなかった。しかも、夫が言うにはカニ目を「缶塗装してた」らしく「すっげえムラだった」らしい。私が見たことがあるカニ目乗りは皆、ボディとメッキパーツをピカピカに磨き上げ、乗るときにはツィードのジャケットにハンチングとゴーグルなどをキメている人びとばかりだったから、私もMさんの話を聞いた時には爆笑した。Mさんは、カニ目という存在を従えていた。スプレー缶で塗装してるのを『従えて』と言えるのかどうかは分からない。

Mさんは、市内にある勤め先のカバンの製作所を、半分自分のガレージのように使っていて、休日はそこでクルマの整備をしていることが多かった。エンジンも自己流で整備していた。私はそこまで詳しくは分からないけど、プラグの点火のタイミング調整とかしちゃってる人のようだった。夫は『たまにはクルマのエンジンを回さなきゃ』と言う口実を設けては、休日にMさんの工場まで出かけていた。私もたまにくっついていって、Mさんと話をしたりした。

そのうちに、息子が生まれた。初めて息子をMさんのところに連れて行った時(息子は1歳から2歳半ぐらいまで空前のクルマブームだった。私と夫は息子のことを『エンスー児』と呼んでいた)イヤに滑舌よく「オースティン ヒーレー スプライト」と指差すオムツの幼児を、Mさんは少し離れたところから面白そうに眺めていた。ヨチヨチ歩きの息子はMさんの工場をうろちょろして、ときどき子供のいないMさんがおとなみたいな口調で話しかけるもんだから、何を言われたか分からずにぽかんとしたりしていた。ヨチヨチ歩きは年を経て、しっかりした足取りになった。Mさんは相変わらずおとなに対するように息子に話しかけ、大抵の場合、息子はぽかんとしていたが、それでもたまにはMさんの言うことがわかるようになった。

Mさんは彼のやり方でとてもクルマを愛していたと思う。独身だったから、稼ぎのほとんどをクルマにつぎ込んでいたんじゃないだろうか。面白いクルマがあると聞くとちょいちょい買い換えていた。カニ目の他には旧ミニ、ロータス・エリーゼ、ポルシェ550スパイダーのレプリカ、スーパーセブン、T-REX(ゴーカートみたいな3輪のクルマ)…どの車もめちゃくちゃ飛ばした。どの車も洗車なんかほとんどせずに汚れ、自分であれこれ工夫してカスタムした車体はつぎはぎだらけだった。ロータス・エリーゼで一人ツーリングに行き、タヌキを轢いてしまって凹んだバンパーを気にもしないで走っていた。走るのにバンパーが凹んでても何の関係もないから、と言っていたが、轢いたタヌキのことを話す時には少し悲しそうにしていた。

ある日、皆でツーリングに出かけた夫がなかなか帰って来ずに、どうしたのかと思っていたら、電話がかかってきた。夫からで、Mさんが事故に遭った、と言う。あんな運転してたらいつか事故に遭うと思ってた。ただ、相手の車が急に大通りに飛び出してきたそうなので、Mさんの過失ではなかったらしい。幸い死者は出なかったが、Mさんは大腿骨骨折の大怪我を負った。1ヶ月以上入院していたと思う。何度かお見舞いに行った。Mさんは私たちが来ると嬉々として病院の外にタバコを吸いに出て、次に乗りたいクルマの話をした。退院してから買ったのがT-REXだった。懲りない人だった。

Mさんは男性だったけど、シャネルのプルミエールの腕時計をしていた。小柄だったせいか、女ものの服や小物もこだわりなく身につけていた。九州の訛りが残る静かな声で話した。静かな声だったけれど、面白いことを見つけてはよく笑っていた。Mさんが面白がることがよく分からないこともあった。事故に遭ったスーパーセブンはボディがすっかり歪んでしまっていたが、Mさんは顎に指を当てながら「ヘッドライトがロンパリになってかっこいいんだよね」と笑っていた。全く意味が分からなかった。

ドライブから帰ってきた夫が、最近あんまりMさんが工場にいないんだよね、と言った。きっとどこかに(クルマで)走りに行ってるんじゃないかな、と私たちは言い合った。

それから1年ぐらい経っただろうか。メッセージカードの集まりにいた人から、夫に電話があった。Mさんはもう何ヶ月も前に、肝臓癌で亡くなっていた。癌が発見されたときはもう手遅れだったらしい。苦しかっただろうけど、そんなに長く苦しまずに亡くなったという。

Mさんは独身で、子供もいなかった。Mさんは後に何も残さずこの世を去った。

夫と私は今でもMさんの工場の前をクルマで通ると、まるでまだ生きてるみたいにMさんの話をする。ウィンカー出さないんだよね、とか、へんな人だよね、とか。その後で、過去形だったことを思い出す。悲しくはない。あんな変な人を少しでも知ることができてよかったと思える。私たちは苗字しか知らない、赤の他人を覚えている。私たちはMさんを知らなかった人生とは別の人生を送っている。Mさんは気ままに生きて死んだかもしれないけど、少なくとも私たちという赤の他人に何かを残したのだ。

事実は過去形だろうけど、私たちは構わない。私たちが忘れない限り、Mさんはどこかでまたクルマを走らせているに違いない。猛スピードで。

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