【#DQEveryChild in JAPAN】人生100年時代のデジタルスキル

教育の未来を考えたときに、しばしば出てくる質問がある。

「第四次産業革命を生き抜くために、子供たちに教える必要のあるスキルは何か?子供たちが仕事をコンピュータに奪われないためには?」

そんな今、教育現場は、コーディングとか創造性とかを身につけさせて、人間VS機械という将来に向けた準備をさせているのだ。

この場合、教育の大まかな目的は産業界の要請や経済発展に向けたものだと言えるだろう。上記の質問は、仕事の観点から生まれたものであり、機械が競争相手や将来の敵とみなされるのである。

でも、子供たちを機械と比較し、仕事の競争相手や潜在的な敗者とみなすのは、本当に正しいことなのだろうか?

ここで、もう少し視野を広げて考えてみよう。

まずテクノロジーは絶えず変化し続ける。それもだんだんとスピードを上げて、ということを忘れてはならない。つまり、たとえ今プログラミングというスキルを学んでも、その仕事もコンピュータにとってかわられている可能性もあるのだ。

ある意味小手先のハードスキルを学ぶ重要性が薄れているのである。

では、教育が個人や社会、地球の幸福を目指すものだとしたら、先ほどの質問はこう言い換えられるのではないだろうか。

「デジタル世界が拡大していく中で、子供たちはどうやったら豊かに生きることができるか?デジタル世界を楽しみ、デジタル世界の問題に対処するためには?」

子供たちにとって、デジタル世界はワクワクする場所である。彼らはデジタル世界を通じて、夢や創造性、つながりといったものを持てる。

一方で、デジタル世界は、ストレスや悲しみを感じる場所でもある。情報やアイデンティティは簡単に盗まれてしまう。暴力的なコンテンツやネットいじめが当たり前になり、大きな社会問題になっている。

今日を生きる子供たちはスクリーンに囲まれて育っている。絶えずテクノロジーに気が散ることによって、「共感力」という大切な資質が欠けてきている。我々はテクノロジーによって人間にとって最も大切なゴールデンルール(黄金律)を忘れつつある。

「自分がそうされたいように他人に接しよう。」

デジタル世界との関わり方を教えずにスマートフォンやPCを与えることは、交通ルールも教えずに子供に自転車を与えているようなものなのだ。

役に立つかわからないハードスキルを習得する前に、生涯の普遍的なデジタルスキル、つまり、テクノロジーが変化しても変わらないソフトスキルをインストールすることが緊急の課題なのである。

そんな人生100年時代に大切になるソフトスキルがDQ(デジタル知能指数)である。詳しいことは以下の記事を見て欲しい。

デジタル世界をどう理解し、デジタル世界でどう生きるかを学ぶことが、現実世界での豊かさにもつながるのである。

そのような基本的なライフスキルを身に着けたうえで、子供たちはコーディングなどの実用的なスキル習得に移ればよいのだ。

子供たちがテクノロジーの良い使者になるか?それともテクノロジーの奴隷になるか?良いデジタル市民になるか?それとも単にテクノロジーを消費するだけにとどまるか?

その答えは、子供たちのDQを高められるかにかかっているのだ。

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