あなたが知らないEdTech(エドテック)の歴史

私は今、アメリカに留学しており、テクノロジーと教育について学んでいる。俗に言う、「(EdTech)エドテック」と呼ばれる分野だ。

アメリカでは、教育分野へのテクノロジーの進出が活性化している。もちろん地域やレベルにもよりけりだと思うが、全体的に日本のそれとは一線を画している。

例えば、GoogleのChromebookやAppleのiPadを中心に、ハードウェア類の学校への導入が着々と進んでいる。1人1台の時代も近いのではないかという勢いである。

そして、それらのタブレットに加えて、Google ClassroomやEdmodoなどの学習管理ツール、豊富なアプリケーションを活用して、新しい学習形態が生まれ、一部では定着しつつある。新しい学びのカタチのキーワードを挙げるとすれば、「パーソナライズ」や「ブレンド」だろう。

私はまだエドテックを語るには程遠いレベルだが、先日教育とテクノロジーの歴史について調べる機会があったので、書き起こしておきたい。

今回、エドテックの歴史について、主に教育目的で用いられたメディアという視点から振り返ってみる。

エジソンが惚れ込んだ、映写機(映画)が創る未来

時代は20世紀初頭。日露戦争の頃である。当時アメリカではSchool Museumというものが存在した。そこでは、映画、写真、勉強用のプリントや数々のチャートなど、教材となりうるものが展示されていた。最初のSchool Museumは1905年にセントルイスで生まれた。

先ほど述べたように、School Museumに展示されていたものは、映画や写真などの視覚メディアであったことから、それらを学校で使ってみようじゃないかという気運が高まり、Visual Instruction Movementが起こった。一部の学校では幻灯機や立体幻灯機が19世紀中ごろから教室で使われていたことを除けば、映写機が学校に導入された最初のツールである。

米国では1910年に最初の教育用映画が発売された。翌年、NYのある地区は、映画をカリキュラムに組み込んだ先駆者的存在となった。

そして、かの天才発明家エジソンはこう言った。

“I believe that the motion picture is designed to revolutionize our educational system and that in a few years it will supplant largely, if not entirely, the use of textbooks” — Tomas Edison (1922)

エジソンがこのように予言してから10年間、たしかにVisual Instruction Movementは成長した。Visual Instructionのためのプロ団体が5つも創設され、Visual Instructionのためのマガジンも5つ創刊された。それらによって、トレーニング方法などが出回り、少なくとも12の大きな都市でVisual Educationのシステムが確立されたのであった。

しかし、成長はしたものの、教育システム全体における変化は大きくなかった。予告してから10年後までに、エジソンが言ったような革新的な変化は結局起きなかったのだ。

何が障壁となったのだろうか。要因はたくさんある。

・先生の、映画と映画機器を使うスキル不足
・映画、映画機器、メンテナンスのためのコスト
・必要な時に映画機器にアクセスできない
・その授業に最適な映画を見つける困難さ
・著作権の問題

このような問題の数々と、先生の抵抗もあり、実現しなかったのだ。

世界恐慌の中、ラジオの台頭

1920年代から1930年代にかけて、次なるテクノロジーの波がやってくる。その流れの中で登場したのが、ラジオである。

この頃、ラジオやレコーディングといったテクノロジーが急速に発展し、これらをまとめて、Audiovisual instructional movementと呼ばれた。

時代背景はといえば、1929年世界恐慌が起こり、アメリカはその影響をもろに受けたわけだが、その逆境の中、Audiovisual instructional movementは進化を続けた。この流れの中で、現在のAssociation for Educational Communications and Technology(AECT)の原型が創られ、これ以後エドテックの領域でリーダーシップを発揮してきたことも記しておきたい。

オハイオスクールの創設者Benjamin Darrowはこう言っている。

“The central and dominant aim of education by radio is to bring the world to the classroom, to make universally available the services of the finest teachers… and unfolding world events which through the radio may come as a vibrant and challenging textbook of the air” — Benjamin Darrow(1932)

このように、Audiovisual instructional movementの支持者たちは、ラジオが教育業界に革命を起こすと信じてやまなかった。

しかし、またしても結果は対照的だった。先の20年間に渡って、ラジオは教育業界に大したインパクトを残すことができなかった。

映画の失敗同様に、原因はたくさん考えられる。

・ラジオ回線を受け取る装置の欠如
・学校のスケジュールとの兼ね合い
・満足度の低い装置
・情報の欠如
・カリキュラムに関係ないラジオのプログラム

またしても、テクノロジーは教育業界に革命を起こせなかったのだ。

政府や財団から支援を集めた、テレビの可能性

第二次世界大戦が終わり、1950年代に登場したのが、テレビである。

もちろん、1950年より前にもテレビを教育目的で使おうという例は多々あった。だが、1950年代から、少なくとも2つの要因により、その流れが本格化したのである。

テレビを押し上げた第一の理由は、国があるチャンネルを教育目的用として使用するとした、1952年の決定である。この決定は、教育番組の急速な発展をもたらした。結果的に、1960年までには、その数は50にも増加していた。

もう一つとは、フォード財団による多額の投資である。1950年代から60年代にかけて、財団はおよそ2億円を教育用テレビにつぎ込んだと見積もられている。これらのテレビプログラムは、小学校から大学に至るまで、非常に幅広く使用されたのだった。

しかしながら、この流れもそう長く続かなかった。

フォード財団は、1963年までに、学校向けの教育用のテレビへの投資を控え、一般的なTVプログラムの支援にフォーカスした。加えて、多くの学区では外部からの投資が少なくなり、テレビによるインストラクションを続けることが困難となった。

1967年、Carnegie Commissionはこう結論づけている。

“The role played in formal education by instructional television has been on the whole a small one. . . nothing which approached the true potential of instructional television has been realized in practice. . . With minor exceptions, the total disappearance of instructional television would leave the educational system fundamentally unchanged. “

テクノロジーはまたしても教育界で花開かなかった。

テレビの失敗の要因として、以下のようなものが挙げられる。

・先生の変化に対する抵抗
・システムの費用
・どのようにテレビを組み込むかのトレーニングの失敗

今なお健在、コンピュータへの期待

テレビへの興味が冷めた後、教育者を虜にした新たなテクノロジーは、コンピュータであった。実は1950年ごろからIBMの研究者によって、コンピュータを活用した学習法は開発されてきた。1970年代まではなかなか表舞台に出てこなかったものの、1980年代に入り、パソコンが世間一般に広まったところで、コンピュータを教育目的で使おうという気運が一気に高まったのである。

1983年までに、全米で40%の小学校と70%の中学校でコンピュータは教育目的で使用されていた。ある著名人が、1990年までに1生徒につき、1台のコンピュータというのは全米で普通になっていると言ったように、コンピュータに対する期待はすごかった。

当初、そのようなコンピュータに対しての楽観的な考え方は間違っているように思われた。実際、1990年代までの効果は限定的であったと言える。調査によると1995年までに平均して9人に1台のコンピュータが配られているものの、コンピュータを使用したインストラクションのインパクトは小さく、多くの先生が変化を実感していないと報告したそうだ。しかも、多くの先生たちがイノベーティブな使い方をできているわけでもなかった。

だが、あなたが実際に学校で目にしている通り、21世紀に入り、コンピュータやその他デジタルツールは、他のツールが推進しようとしたよりも、はるかに大きな変化をもたらしはじめたのだ。

過去10数年間、インターネットを含めコンピュータやその他テクノロジーは、爆発的な発展を遂げた。これによって、教育業界のみならず、ビジネス、軍など幅広いトレーニングにテクノロジーが使用されている。

コンピュータ・タブレットは、何が違うのか

この急激な広まりはなぜ起こったのだろうか?

まず、学習者の学びの手段の多様化である。特に高等教育においては、インターネットを通じた遠隔学習、いわゆるオンライン学習というのが、安価な方法として確立されつつある。そのような学習を受けるにあたって、基本どこでもいつでも利用できるコンピュータやスマートフォンが適しているのは言うまでもない。

他には、これらのツールは、よりインタラクティブな環境を創り出していることが挙げられる。インタラクションには、以下の3つの種類があると考える。

①学習者と学ぶ内容
②学習者と先生
③学習者と学習者

映画やラジオが①しか実現できなかったのに対して、新しいツールはメールやチャット、オンライン掲示板などからもわかるように、①に加えて②③までも実現しているのだ。

さらに、教育者・先生は、これらのツールで様々な学びをデザインすることが容易になった。ビデオ、写真、プリントなど様々な情報の提供方法を持っているコンピュータは、先生が提供できる授業の幅を大幅に広げてくれるのだ。

おまけに、近年ではスキルや知識を共有し、獲得する場として、ソーシャルメディアもスタンダードになりつつある。以上の事実を考慮すると、教育者たちが学びを補助する手段として、コンピュータやデバイスを使うようになったのは不思議ではない。

さて、いかがだっただろうか。教育のテクノロジーツールとして、どのようなものが使われてきたのか時系列に沿って振り返ってみた。大切なのは、これらツールに対して人々が予期したことと、実際の効果の比較である。

過去一世紀にわたって繰り返されてきた、期待と結果のパターンに気付いたであろう。

新しいツールが教育の現場に入るたびに、人々はそれに興味を持ち、教育においてどんな良い影響を与えるかに熱中してきた。

しかし、その興味や熱中は最終的に消えうせ、さらにはそれらのツールはさほど効果がないと実証されてきた。

では、1980年代に予測された、コンピューターが教育に革命を送すというのはどうだろうか。先ほど述べたように、過去数十年で、コンピューターやその他テクノロジーは教育現場において、ますます大きな大切な役割を果たしつつある。ここまで普及しているテクノロジーはここ一世紀で初めてである。

ただ、ある人たちが期待したような革命は、まだもたらされていないであろう。例えば、彼が言ったように。

“There won’t be schools in the future. . . I think the computer will blow up the school. That is, the school defined as something where there are classes, teachers running exams, people structured by age, following a curriculum — all of that” — Seymour Papert, MIT professor of Education(1984)

最終的にこのような教育革命は、果たして現れるのだろうか。

新ツールの利用が増えている前述の理由を考慮すると、今後数年、コンピュータやデジタルツールは、まだ完全には教育を変えないにしろ、他のツールが推進しようとしたよりも、はるかに大きな変化をもたらすと予測できるのではないだろうか。

そして、我々は、教育の根本が覆る歴史的な時代に生きているのかもしれない。

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