漠然とそう感じています。
自分の生きてきた数十年間を振り返った時、1セントも手持ちに無かった時に持っていた「常識」と今のとは違いがあります。
ちょっと待った。
「常識」ってなんだろう。
一般に学問的知識とは異なり,普通人が社会生活を営むためにもち,またもつべき意見,行動様式の総体をいう。これは経験の集積からなることが多く,時代や場所や階層が異なれば通用しないものもあり,多分に相対的なものである。本来は,「共通 (一般) 感覚」の意。アリストテレスは視,聴,触などの相異なる感覚を一つの対象に結びつけて意識させる「すべての感覚に共通な部分」をいった。近世初頭デカルトなどは,これをより積極的に万人が共有する真理感覚と解し,良識 (ボン・サンス) と呼んだ。 18世紀末に現れたスコットランド学派は,この真理感覚を「常識の原理」と名づけ,それを基礎に倫理説を立てたので「常識学派」と呼ばれる。 (→常識哲学 ) 〜ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より
「…時代や場所や階層が異なれば通用しないものもあり、多分に相対的なものである。…」
そうそう。これが言いたかったこと。
ウチの母親が良く言っていたことを思い出します。
自分の物差しで判断しちゃダメ。
母親が言っていた「物差し」が「常識」なんですよね、きっと。
色んな国に行き、色んな国に住み、そしてそこで生活をし、色んな国の人たちと交流する中で、自分が持っている「善悪の判断基準」「好みの基準」「色の持つ意味」「服装が表す意味」などが必ずしも他の人と同一ではない事ばかりなのを思い知らされたはずです。
所変わればファッションだって変わるんですから。
万国共通でない事が多いそんな常識。
でもそのんな常識を楯に取る自分。
「最低限の常識を持った言動を心掛けてください」
ふと思ったんです。これって聞く手によっては凄く驕った言い方になる?
最低限の常識
最低限ってどう言う事よ。
この最低限のラインってのが単なる自分の嗜好に過ぎなくてそれを常識と言う言葉を盾にして他人に無理強いしているように感じる事がある。。。
もっと悪く言うとそんな事も知らないのかと言わんばかりの傲慢で甲斐被った悪質な言動な気がする。俗に言う上から目線。
特に、夫くんの言動に多く感じて自分を振り返って見ると、自分も大して違わないと思う節があるも事実でショック。
なんかもっと器の大きな大人にならないとですね。。。

