Takeshi Inoue
blogescala
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6 min readMay 18, 2019

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96年、オスカル・デ・レオンの『ソネーロ・デル・ムンド』がリリースされたとき、アルバムに奇妙なクレジットを発見した。それは、マイアミのサルサの中心的な人物ウィリー・チリーノをサポートしていたスティーヴ・ロイシュタインのスタジオで録音されており、彼がアレンジにも協力している。奇妙というのは、トニー・コンセプション、エド・カージェ、サミー・パガンといったマイアミの腕利きのミュージシャンに混じり、ベースとピアノを「コンピュータ」が演奏しているように記されているのだ。アルバムは、コンピュータの演奏と聞いて即座に連想されるような無機質な印象とは逆に、オスカルが見せる全身を筋肉で鍛え尽くした身体を惜しみなく観客に捧げる彼のステージを思い起こさせ、むしろ彼の人間らしさとライブで見せる彼のバネを強調している。基本的にアナログな音楽であるサルサをコンピュータライズすることにたいする肯定的な側面をそのアルバムは示していた。その違和感のなさだけではなく、コンピュータの飛び跳ねるようなリズム感が彼に肉体を取り戻している、といった印象に、ヒップホップやハウスのようなクラブ・カルチャーのルーツにひとつが「ラテン」にあったことをサルサが遅まきながら気がついている、そう感じ、こうした試みは増えていくだろうと感じていた。

その後、偶然ロイシュタインといくつかの会話をかわすことになったので、ずっと気になっていたこのアルバムについて訊いてみたことがある。彼によればそのクレジットでは、まるでコンピュータが自動演奏したかのように読めるが、実際は彼の演奏をサンプリングしてシークエンサーで演奏したとのことだった。そして、レコーディングはシークセンサーを使って実際の録音が始まる前にすでにいくつかのパートの録音を終えていたと語っている。さらに彼は、「サルサの世界では、アーティストの間ではまだコンピュータを使うことへの抵抗がある、彼らはそれをラテンの風味を削いでしまうと考えている」とも述べていた。

このアルバムは、翌年グラミーにノミネートされた。それをロイシュタインはとても名誉なことだと語っていたが、当のオスカルにとっても彼のまさに「世界のソネーロ」と呼ばれる活躍をさらに加速されることになった。今夏にリリースされた彼の最新アルバムでオスカル自身が記しているライナーによると、彼は、「日本からヘルシンキ、モントレーからブエノスアイレス」まで駆け回って講演を行なっている。過熱気味とも言えるその時代を80年代から顕著になりはじめたグローバリゼーションの時代と重ね合わせて語っているのが興味深い。こうした地球規模に拡大していく活動と音楽にコンピュータが使われる動きとは全くパラレルであっただろう。しかし、今回のアルバムでは、彼は一旦、こうした動きを止める方を選んでいる。まるでバブルがはじけて目覚めたかのような彼は、「ツアーに廻っている間、音楽の制作をまったく他人まかせにしていた。私はボーカルのパートを吹き込むだけ。つい最近になってこれじゃいけない、自分でアレンジして、曲を作って、選んで、気のあったミュージシャンでやっていた昔のやり方に帰らなくて、そう気づいた」と記している。

わたしにとって興味深いのは、グローバリズムというものとコンピュータライゼーションが結びついているこの世界で、オスカル・デ・レオンというサルサで最も人気を誇る歌手が、あるときはその時流に乗りながら、そしてまたそれに抵抗を見せながら生きていくその処世術のようなものである。「ソネーロ・デル・ムンド」を聴くかぎり、彼がコンピュータの利用は「ラテン」の風味を削ぐと考えているとは思えないが、音楽を自分のものとして取り戻したいと考えていたこともたしかだろう。80年代から、ラテンアメリカ市場の拡大とともにその聴衆を増してきたサルサが、生産を至上と考え、アーティストのそうした欲望を無視してきたことも事実である。しかもコンピュータを使うという専門的な作業は、ロイシュタインが暗にそう言っているように、サルサという伝統的な世界のアーティストを疎外してきたかも知れない。「ソネーロ・デル・ムンド」が、マイアミという最もアメリカ的な都市で録音され、そうしたグローバリゼーションとコンピュータ化という拡大する世界のひとつの頂点象徴するとすれば、今回「原点の型」と題されたこのアルバムは、それより先へ進むのを暫し休み、サルサはその縮小の局面をみせている。ロイシュタインが語るようにコンピュータによってシュミレートされあらかじめ公開された情報がレコーディングを「民主化」しているとすれば、オスカルはディレクターしか最終地点を知らない古風で伝統的(独裁的?)なやり方に戻ったとも言えるだろう。

サルサが、ニューヨークの「バリオ」、プエルトリコの「ポンセ」やコロンビアの「カリ」とけっして大きくはない共同体を母胎として持ち、その意識と深く結びついていたとしたら、オスカルの歩みに見られるような、わたしたち同じようにグローバリゼーションという流れに組み込まれたこの音楽の存在の意義はどこに求められるのだろう?ロイシュタインの示したような、また、メレンゲ・ヒップホップのように世界の音楽の潮流に逆らわない「テクノ=サルサ」の可能性はあるのだろうか?音楽は情報としてコンピュータをつうじてやりとりされる時代に、あえてオスカルのように自らの立脚点を確認するためにそれが生まれた地点にまで戻らなくてはならないのだろうか?ニューヨークのセルヒオ・ジョージ、プエルトリコのラモン・サンチェス、マイアミのオスバルド・ピチャコ、さらにコロンビアのグループ・クラセ、ネットで繋がれた世界ではこれらのプロデューサーたちはあたりまえにコンピュータを使い始めているが、グローバリズムとそれに逆行するような地域主義的、場合によっては民族主義的な流れという相反するベクトルをサルサはまたおさまりのつかないまま内に抱えているのである。

『ラティーナ』2001年1月号

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Takeshi Inoue
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障害者自立生活センター勤務。障害者の世界と健常者の世界、スペイン語の世界と日本語の世界の仲介者。現在コスタリカの自立生活センターで働いています。 Un japonés que trabaja en el centro de vida independiente MORPHO en Costa Rica.