昨夜、空港までメインストリームの訪問チームをアテンドして帰った後、ホッとしてエレベーターに乗って上がろうとしたら、iPhoneがポケットにないことに気づいた。あわててフロントまで戻って領収書にあったタクシー会社に連絡してもらったら、幸い空港のオフィシャルなタクシーだったこともありすぐに戻って来てくれて難なく手元に返って来た。
いつくらいだったか、それまで前のJICAの技術プロジェクトに関係があった人らをそのまま横滑りさすような形でぼくらのプロジェクトの管理を任せていたのを、様々な理由からぼくが一人で引き受けなければならなくなった頃だったと思うが、帰国するためペレスからサンホセまでバスで来て、ターミナルからホテルまで流しのタクシーを拾ってホテルに着いた際、トランクからスーツケースを取り出したら、運転手から車に傷が付いたとえらい剣幕で絡まれたことがあった。
そこらをたまたま警備に歩いていた警官がやって来て、にわかにあたりが騒然となった。知人の邦人に電話で助けを求めたが相手にされず、最終的にぼくを守ってくれたのは馴染みのホテルのひとたちだった。
そのとき、ここの人たちがたいていタクシーを使うときに必ずこの人という友だちのような運転手を何人か持っているのはなぜなのかよくわかり、この件をきっかけにこの国で「生き残る」ための方策を少しずつ学び始めたような気がする。
ぼくはこの仕事を始める前、ラテン音楽の評論のような仕事をしていたことがあり、献辞によく「ありがとうぼくのことを信頼くれて」「〜どうもありがとう、きみのことは100%信頼しているよ」なんていうフレーズがよく表れていた。ここも同じで、かなり明確に信頼できる人そうでない人とを峻別して信頼できる人のネットワークを構築してそこで生きている。
今回のここに帰ってきて感じる安心感、ここにいていいんだという感覚は、コロナ禍までにぼくも無意識にそうしたネットワークを作っていて、それは二年のブランクがあっても生きていたということだ。