先週ほんの気まぐれに80年代を疾走していったメレンゲのバンド、ロス・ベシーノスとミリー・ケサーダを何十年ぶりかに聴きなおして、ああやっぱりとても素晴らしいな〜とFacebookにそれをアップしたことをきっかけに、ぼくのラテン音楽の同志ボリンケンさんとこれもとても久しぶりにラテン音楽談義を交わしていたのだった。
ぼくにとって音楽は、現在を感じ確認し、それを敏感に感じ取って表現している人たちからインスピレーションを得るものと言っていいので、ボリンケンさんと交わされた会話の中にあった「サルサの未来」なんてものは、もう20年も前に潰えている。残念ながらそう感じざるを得なかっし、実際ぼくが新しいサルサを手にしたのは、サンタロサ新譜などごく一部を除いてもう記憶にないくらいだった。
すべての音楽と同じようにサルサも歴史に規定されている。よく説明されるようにキューバの音楽が冷戦下で西側の人たちには遮断された結果、独自のアレンジされ生まれたのがサルサである。これは概ね当たっており、従ってベルリンの壁が壊れ、社会主義陣営が資本主義へと移行した直後に迷走を始め、最終的にキューバのサルサというものがラテン音楽の市場に帰ってきた時点で使命を終えた。
ぼくらがおそらくサルサに感じていた魅力も、こうした歴史的な基底から来るものだったと思う。それはラティーノたちが、「アメリカ帝国」なのか「金持ちの資本家」なのかそれはわからないが、抑圧されており「連帯」して何かを言ってやる音楽だった。それは基本的にラティーノのためのラティーノによる音楽で、90年代に入り英語で歌うサルサが出現したり、日本人によるサルサオーケストラが現れたりしたら迷走するのは当然だった。
ボリンケンさんにも同じようなことをもっと簡潔に送って、この週末はもう完全に懐メロモードで、YouTubeをグルーポ・ニーチェやポンセーニャの古い映像がアップされているのを、ああやっぱりすばらしいなと思いながら観ていたのだった。
そして、これもまったく気まぐれに、ある女性のオーケストラのビデオをクリックしたら、ぼくはその後もうそれにグギづけになてしまった。
それは、Divina Bandaという女の人ばかりで構成されるサルサのオーケストラで、調べるとどうもキューバのオーケストラのようだった。アップされているのはジョー・アロージョが植民地時代の逃亡奴隷を歌った有名な「Reberión」やマーク・アンソニーのヒット曲であったりしてどれがオリジナルかもわからず、どうもセミプロクラスなのかななどと想像しながら観ていた。
ビデオのいくつかは、キューバのメンバーの自宅の庭先らしく、練習のついでに一曲撮影したような感じ。しかしそこから伝わってくるこの楽しい感覚はいったい何だろう?
「私たちは集まって演奏するのが楽しい」
「私たちはこうしてリズムを一つにする必要がある」
「私たちにはサルサを通して言ってやることがある」
ここから伝わってくるのはこうした感情だった。彼女たちには、「私たち」になって「連帯」する必要がある。ここにラテンアメリカで広く問題になっているドメスティックバイオレンスは、フェミシディオなどを読み取って深読みする必要はないだろうが、それを念頭において彼女たちの演奏する「Reberión」がなぜこれほどリアリティがあるのかを考えてみてもいいかも知れない。
ちょっと今ぼくは天地が逆になってしまうほどの衝撃を受けている。
今この時代に、サルサを必要とする人たちがいて、「抵抗の音楽」としてのサルサがまだ生きている。