Takeshi Inoue
blogescala
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6 min readNov 21, 2020

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昨年の暮れのことだが、わたしは約10年ぶりにチリを訪れた。ボリビアのラパスで一週間仕事をした後同僚に別れを告げ、ひとりウユニを経由してサンペドロ・デ・アタカマ、そして首都サンティアゴへとバスで移動した。サンティアゴへの訪問の目的は、それからさらに10年ほど遡った頃、わたしはここの大学でスペイン語を勉強していたことがあるのだが、そのとき下宿する部屋を提供してくれていたアパートの持ち主であるカルメンを訪ねることにあった。 サンペドロ・デ・アタカマから23時間バスに乗りっぱなしで、サンティアゴに到着したのは正午頃だった。到着した日はよく晴れた暖かい日だった。町のほぼ中心サンフランシスコ教会の裏にあるホテルに荷物を置いて、お腹が減っていたこともあってすぐに以前下宿していたアパートへを見に行くことにした。

10年という歳月が、果たして長いのか短いのかそれはよく分からない、がサンティアゴの町は驚くほどに変わっていた。アパートはビクーニャ・マッケンナという町を南北に走る大通りの通り沿いにあった。東西の大通りアラメダを南に下ってしばらく行ったところだ。歩いてそこまで向かっていたところ、以前あったいくつかのアパートは高層化して、コンシェルジェのいる高級なマンションへと変わっていた。見慣れない建物がいくつもできているので一瞬どこを歩いているのか分からなくなるくらいだった。かつてわたしが下宿していたアパートはそのまま元のようにあったがその背後にはやはり高層のマンションができており以前なら町の西側を見渡せたはずの視界が完全に塞がれてしまっていた。

そして、歩いていて否が応でも気づかざるを得なかったのが、通りの壁面のあらゆるところに埋め尽くされたグラフィティだった。何かスローガンめいたものをだた書き殴っただけのものから、きっちり描き込まれたアートになっているものまでその数は半端ではなく、まるで町全体が無法地帯化しているかのようだった。

これはいったいどうしたことなんだろう?当局は取り締まったり消しに回ったりしないのだろうか?そうした疑問がわいてくるとともに、思わず描かれたキャラクターに見入ってしまったり写真を撮るために立ち止まったりすることもしばしばだった。チリのここ数年の経済成長にはめざましいものがあり、それにもかかわらず、というかそれだからかか2年ほど前から学生が大学の無料化を求めたデモをしばしば行っておりそれはかなり激しいものであるというのはニュースでも伝わってきていた。おそらくそうした社会情勢と関係があることは想像できたが、以来わたしはしばしこのチリのグラフィティについて調べてみることになった。

現在描かれているスタイルのグラフィティはもちろん、直接は70年代にニューヨークで発生したものに遡れるが、チリのグラフィティを語る場合その他に、メキシコの壁画運動の影響や南米でのグラフィティ運動では先を行っていたブラジルのアーティストの影響もあった。そしてチリ特有のものとして人民連合が70年の選挙で政権を獲るまでプロパガンダとしてかなり使われた経緯があった。大統領になったアジェンデ自身がバルパライソで描かれていたものを首都サンティアゴに持ち込んだという話が残っている。73年ピノチェト将軍のクーデターで政権が崩壊した後は、政府を批判するメッセージが描かれてもすぐに当局に消されてしまったという。こうした状況下でニューヨークのグラフィティ運動が伝わってくるのには時間がかかったが、アーティストたちは少しずつスキルを高めていって現在に至っている。

そして現在チリのグラフィティを代表するアーティストがインティ・カストロだ。彼はバルパライソやサンティアゴなどチリ国内やラテンアメリカの国々にとどまらず、ベイルート、パリ、オスロ、その他のヨーロッパの様々な都市のアートフェスティバルやプロジェクトに招かれて壁画を描いている。6月、こうした彼の活動に興味を持って色々調べているとき、トルコではあの大規模な反政府デモが起こっていたのだが、なんとインティ・カストロがまさにその騒乱の中で壁画を描いていることがわかった。それは飛び火するようにブラジルの民衆に火をつけ、母国チリのサンティアゴでも6月26日に10万人規模の学生デモが起こっている。以下はこうした状況のまさに交差地点で仕事をするインティと交わしたメールの一部だ。政治的なプロパガンダであったというチリの伝統、歴史の記述者というメキシコの壁画運動、反抗というグラフィティそのものの成り立ち、そうしたものすべてがこのインティというアーティストの活動に受け継がれており、しかもそれが「現在」を生きているのがわかるだろう。

「イスタンブールの壁画は、『ムラルイスタンブール』というプロジェクトの一環だったんだ。そのプロジェクトでぼくらはある意味幸運に当たったとも言えるしまた、その逆でもあったとも言える。だってトルコでのあの大規模な抗議行動の真っ最中にちょうど当たったんだからね。幸運だと言ったのは、この国がまさに変化して行くプロセスの中で、壁画の製作を終えることになったからだ。公共空間を対象にする芸術家としてこれ以上の機会はないだろうし、ぼくの作品も隠れた形ではあるけれども、おそらくこの変化の一部であると思うんだ。

こうした状況下で出来あがった作品はすべて、間違いなくより感情的なものに仕上がっている。公共の利益のために働いているという気持ちがより強く感じられるし、たとえわずかなものであってもそれに貢献してると思える。もちろんいい方向でね。

チリのもブラジルのもイスタンブールのも、他のどこか別の場所でおこっていることも、要求している事柄がそれぞれ違ったにしても、みんな同じ現象に対応している。ぼくたちは世界中が結びついた時代に生きているから、いいこともそうでないこともあっという間に知られてしまう。人々は情報を知ってしまったので、このことはきっとこれまで知られていた政治のやり方などで、重要な変化をもたらすだろう。間違いなく人々は組織してもっと情報を流し、様々な情報源へのアクセスは、私たちが情報を精査することを可能にし、それは情報操作をある程度防ぐことにもなるだろう。こうした文脈において都市芸術の担う役割はとても重要なものとなるだろう。それはたんに告発の担い手であるだけでなく、その瞬間や時代の考え方を永遠に保存する役目も果たすことになる」。

どうだろう?未来は自分たちの力で変えることができるという強い信念が感じられる。それは現在の日本のわたしたちと最も違うところではないだろうか?

『ラティーナ』2013年9月号

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Takeshi Inoue
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障害者自立生活センター勤務。障害者の世界と健常者の世界、スペイン語の世界と日本語の世界の仲介者。現在コスタリカの自立生活センターで働いています。 Un japonés que trabaja en el centro de vida independiente MORPHO en Costa Rica.