Takeshi Inoue
blogescala
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5 min readJun 8, 2019

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現在のキューバ音楽の止まるところを知らないブームを見ていると、冷戦を通じて長年アメリカ合衆国が恐れてきたのは、たとえば、こうした状況ではないのか?と思うときがある。彼らの、一瞬にして人の心を掴んでしまう類いまれでマジカルともいえる能力、それこそが、プロパガンダを戦う現代の戦闘で、合衆国政府が最も恐れていたものではないか?そのほとんどギリシア的とも呼べる美しさこそ、合衆国が持ち得ず欲しくてしようがなかったものではなかったのか?そして、その美しさは、キューバ人自身によってではなく概して他者が羨望をもって確認し、噂が噂を呼ぶ連鎖で持ってこうしてあっという間に世界に拡がるのだろう。

ロサンジェルスを拠点に活動するサルサ歌手リカルド・レンボが幼い頃、そうした魅力にとりつかれたときにはまだ彼はコンゴ(旧ザイール)にいた。1960年、多くのアフリカの国々とともにコンゴが独立する頃、彼は首都のキンシャサに生まれている。彼の家の横はバーになっていて、夜昼かまわずスピーカーから、コンゴ・ルンバと呼ばれるリンガラ語のポップスとともにキューバ音楽が流れていた記憶を語っている。よく知られているように、コンゴのポピュラー・ミュージックの創生には、キューバの音楽が深く関わっているが、政治的な背景として、たとえば60年から5年にわたる内戦の最終年65年に反政府軍はゲバラを軍事顧問として招聘もしている(が失敗に終わっている)。また74年にファニア・オールスターズがキンシャサで公演を行ったとき、ジョニー・パチェーコが叫んだ「ビバ・ラ・ムシカ!」というフレーズが、パパ・ウェンバのバンド「ヴィヴァ・ラ・ムジカ」の名前になったことはあまりにも有名な話だ。

リカルドがそこに居合わせて、それで彼はサルサをめざしたという出来すぎた挿話は残念ながらない。彼はそん2年前に、合衆国にいる父親のもとに旅立っている。ロサンジェルスで大学に通いながら弁護士を志しているが、レコードのコレクションに走りキューバ音楽のオタクになる。結局音楽をやる希望を諦めきれず、さまざまなバンドのバックコーラスをつとめて音楽の道に入り始める。

こうして80年代を彼はカリフォルニアのラテンシーンとともに過ごし、そこで知り合った、キューバ系の移民アレハンドロ・ペレスとともに90年に「マキナ・ロカ」というバンドを結成する。

わたしが、はじめて彼らの存在を知ったのは、96年にリリースされた彼らのファーストアルバム「タタ・マサンバ」だった。それは、リンガラ・ポップスとキューバのソン・モントゥーノをフュージョンしたなんとも形容しがたい音楽ながら、キューバの音楽にたいする敬意に満ちたもので、ひじょうにオーソドックスなキューバの音楽を聴いたという後味を残している。彼自身、機会あるごとに語っているようにオルケスタ・アラゴン、アルセニオ・ロドリゲス、ソノーラ・マタンセラは、彼が幼少の頃から繰り返して聴いた音楽だった。そしてその崇拝ぶりはまるでサルサ創成期のニューヨークのミュージシャンたちを思い起こさせるだろう。

98年にはレーベルをプトマヨに変えてセカンドをリリース。そして今年3枚目のアルバムをわたしたちは聴いているのだけれど、彼がキューバ原理主義者的といってもよいソン・モントゥーノから引き継いだ甘さを廃して構築されるリズムを重ねていくときにフッと、それが、空が開けるようにポルトガル語で歌われるバラードに変わる瞬間がある。それは「サン・サルバドール」というタイトル・トラックで、瞬時にそれが彼の故郷を歌ったものであることがわかる。しかしそれは、彼が見たこともない故郷。サン・サルバドールとは、かつてコンゴがコンゴ王国として栄えていた15世紀にヨーロッパから艦隊を率いてやって来たポルトガルの文化に憧れた当時の国王がポルトガル風に改名した当時の首都ムバンザ・今後の名だ(現在ではアンゴラ領に入るという)。そこから奴隷として連れて行かれた彼の祖先を彼は歌っているのだけれど、他のアフリカの国々同様に行き場を失ったかのように疲弊している現在の故郷を歌っているようにも聞こえる。

その強烈なノスタルジーに、かつてサルサをやっていた人たちが、故郷から都市に出てきて感じていたものとおなじものを感じることができるだろう。このアルバムには他にファンクが含まれていたり、キューバとコンゴのフュージョンに止まらず、さらに雑多な展開をみせている(彼の使う言語は、リンガラにフランス語、スペイン語、ポルトガル語、ちょっとばかし英語と5ヶ国語にもなる)。それは、現在を彼を取り巻く現実とおなじくらい多様に聞こえるだろう。しだいにそれは「アメリカ」の音楽に近づいて行っているようだ。

キューバの音楽のほとんど数学的な美しさは、人を惹きつけ、キューバの音楽もそれを拒むことはない。しかしながら、その迷宮に迷い込んでも結局人はキューバ人になれるわけではない。そしてそれが、キューバ人の誇りでもある。そこでひとは、では「私」とは誰か?と考えざるを得ないだろう。そこからサルサが始まったのだとわたしは思う。このリカルド・レンボのサード・アルバムには、そんな微かな動揺が見受けられて、なかなか形容し難かったこの歌手をわたしはサルサ歌手だと思うようになった。

『ラティーナ』2000年10月号

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Takeshi Inoue
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障害者自立生活センター勤務。障害者の世界と健常者の世界、スペイン語の世界と日本語の世界の仲介者。現在コスタリカの自立生活センターで働いています。 Un japonés que trabaja en el centro de vida independiente MORPHO en Costa Rica.