Takeshi Inoue
blogescala
Published in
Jun 3, 2024

昨日は日曜日で、、ぼくが居候しているアイデーの家のすぐ隣の棟に住むルイス・エドゥアルドさんのお宅にお昼ご飯に呼ばれて行った。先週からからっと晴れて気持ちいい天気がつづいていて、昨日もそうだった。

ルイス・エドゥアルドさんは、これまで何度かアイデーの家にちらと寄って届け物をしてくれたりしていた。話しが長くて面倒だなと思ったこともあって、前の日に来て誘ってくれたものの、付き合いだから仕方がないくらいに思っていた。

迎えに来てくれて行くとまず壁一面に、昔のの映画のポスターや家族の写真、証明書の類、観光に行って手に入れた絵やマリアさまなどの聖画などがごっちゃになって飾ってあったのに興味を惹かれて見ていたらひとつひとつ説明してくれた。

息子さんが自閉症で、高齢のご夫妻がいっしょに暮らしてケアをしている。ルイス・エドゥアルドさんがこの日80歳の誕生日だと、娘さん家族がしばらくして訪ねて来てお祝いを渡したときに初めて知った。

ご夫妻はとても音楽が好きで、着いてからずっと、戦後すぐくらいのラテン音楽が流されていた。何となく面倒だった気分は着いてすぐになくなっていて、甘いリキュールを出してくれいい気分になって音楽を聴いていたらもうそれだけで幸せな気分に変わっていた。

そして、彼が上手に踊っていたので、この頃ボゴタで踊りに行くのはどんなところだったのか訊ねると、ちょっと予想外の答えが返って来た。「私の青春時代と言ったら、1961年から1968年で叛逆の時代だっからね」そう切り出して、Juventud Trabajadora Colombiana という若者で作る労働組合で書記長をしていたと言った。踊りは、組合で用意した巨大なサロンで毎月末に催されていたらしく、自分は書記長だったし人当たりがよかったから何人も女の子を相手にして踊ったもんだと話してくれた。

4月の末にここボゴタに来て、アイデーたちと話しながら少しずつコロンビアの社会について知って行っている。そうした情報をさらに厚みを増してくれるような話しだった。ルイス・エドゥアルドさんは何年か前にも胃がんの手術をしている。こんな話しをしていたあとに、ふっと遠くを見るような目をして、自分のようなのがまだ生き残っていて、簡単に死んでしまう人もいて、人の人生は何なんだろうかって思うと言った。

もうこの頃には、ぼくは自分の人生でもそんなにない奇跡的な時間を過ごしていると感じるようになり、娘さん家族が来て、いよいよ場は誕生日をお祝いするパーティーとなって、腰が曲がった奥さままでとても上手に踊るのにまた驚かされていたのだった。

夜暗くなって、またぼくをアイデーの家まで送ってくれたルイス・エドゥアルドさんは、ほん隣に行くまでの短い時間にこう言った「humilde 、「謙虚さ」って言葉を知っているか?彼女はまさにそうで、それでみんな彼女のことを大好きになるのさ」。ぼくも大好きになって帰ったし、彼らの娘さんも大好きになった。

考えたら、昨夜はコロンビアに来てから、ずっと感じている。中にいる感覚のつづきだった。ぼくはいわゆる家族の温かさのようなものを知らずに育ったし、日本ではパーティーや集まりに出てもいつも場違いな感覚で早く終わってくれないかなとしか思わなかった。ずっとそこにいれて、楽しくいられるなんていうのはまさしく奇跡的だった。

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Takeshi Inoue
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障害者自立生活センター勤務。障害者の世界と健常者の世界、スペイン語の世界と日本語の世界の仲介者。現在コスタリカの自立生活センターで働いています。 Un japonés que trabaja en el centro de vida independiente MORPHO en Costa Rica.