「筋ジス病棟バーチャル患者会」と「ケアの倫理」

Takeshi Inoue
blogescala
Published in
Jan 2, 2024

岡野八代さんの『フェミニズムの政治学』が出たのがもう12年前で、その時もとても衝撃を受けたのだけれど、そこで提案されている考え方は当時とても荒唐無稽なものに思えて、現実にする手立てを想像することもできなかった。

それから、ぼくは2016年にエドワルド・コーンの『森は考える』をつうじて人間とそれ以外の動物、あるいは非人間をも含めた「モノ」を同列で扱うアクターズネットワーク理論や人類学の「存在論的転回」を知ることになる。これは、身体障害者中心の自立生活運動をそれ以外の障害者へとカバーして行く理論的な支えを与えてくれた。これらの人類学の思想はすべて、ヨーロッパに発見された側からそれまでの理論を見直す「脱植民地化」の試みである。(*1)

そしてコロナ禍となり、エッセンシャルワーカーが話題の焦点となっていく中で、ケアワーカーのことも語られるようになる。岡野八代さんも当時、かなり精力的に『フェミニズムの政治学』で提唱される「ケアの倫理」について翻訳したり雑誌に投稿されていたと思う。しかしこの時もまだぼくは、これを具体的に実現するアイデアはなく、まだ最初の荒唐無稽さを引きずったまま、どこかこの世界のものではないように見ていたと思う。

今年の5月から、バーチャル患者会のみなさんといっしょに会を立ち上げる作業を始め、みなさんのさまざまな願いに共通するものに「世界平和」があることを知り、プロジェクトの先にこれがあることを意識しながら作業は行われた。それは10月7日以降は、SNSをつうじて目の前でガザの子供たちがごろごろと殺されているのを見ながら進められることとなった。

前にここにも投稿したようにこの作業の道標となってくれたのはジュディス・バトラーの『非暴力の力』だった。彼女がこの著作で展開する理論はしかし、「ケアの倫理」が説くものと同じで、そもそもフェミニズムに端を発する。それは、近代に始まり現代でもさまざまな理論が乗って立つ「個人」というものがすべて「自立した成人男性」をモデルにしており、政治は彼らで執り行われ女性・子供はそこから排除されて来たという。ここに障害者を加えてもいいだろう。

バトラーはこの本で、そしてジョアン・トロント、岡野八代さんら「ケアの倫理」の論者たち は、何人といえども、誰かにケアを受けずに育った人はいない、また人は本来、依存し合った「関係」の中で生きており、まったく「自立した個人」は存在しないと説く。そしてラディカルな相互依存の下、排除されていた人たちとの平等を主張し、その先に戦争のない平和な世界を想像/創造する。ラディカルな相互依存主義は、ラディカルなデモクラシーを志向し世界平和を目指す。

ぼくらが前提にしている「自立」ももちろんここで言われる、「成人男性モデル」だ。自立生活運動が目指すものは「自立」した「成人男性」による「市民社会」の一員になることだ。「ケアの倫理」の論者によれば、人に依存しなければいけない人はその枠外におらざるを得ない。同じ運動の中でも排除される障害者の人たちが出んわけだ。このように構造自体に差別的な装置が組み込まれているので、がんばってもがんばってもまったく状況がよくなった気がしないのはこう言った理由のためだったと理解することができる。それは長年の病院にいてそれまでのマイナスな経験や多くの人医療的ケアに「依存」する筋ジス病棟のみなさんにも言える。

しかし、ぼんやりとわかってはいても、今ひとつその先が見えなかったのだけれど、バーチャル患者会のみなさんと彼らが望む世界を現実にするためには、この「ケアの倫理」の道筋しかないと確信するに至った。ぼくらは、患者会のみなさんと進めるプロジェクトの今後を「権利の回復」を中心に据えてやることにした。それは、みなさんに欠けているのは、サービスの量等々ではなく、他の者との平等な権利であり、ぼくらはまずそれを回復してくださいと訴えることからはじめる。ぼくたちは、存在論的転回の人類学が、植民する側ではなく植民される側から見た世界を提示したように、筋ジス病棟から見た世界を提示するだろう。

そして、病院も入った「権利回復ユニット」が機能すれば、病院の内と外の分断させるのではなく、患者さんたちが生きる場をみなで協同して作り出すことになる。介助者はそこでこれまでの、指示されたことをやるだけの受け身な労働者ではなく、もっと積極的な、ケアすることをつうじて「世界」を修復する働きをすることになるのだ。ラディカルな相互依存主義とラディカルなデモクラシー。

(*1)1980年代にこれらの存在論的転回の人類学が現れるのと同時期にダナ・ハラウェイやイザベル・スタンジェールらのフェミニズムの立場からの科学の見直し、ブリュノ・ラトゥールのアクターズネットワーク理論が登場しており、それらは互いに影響を与え合いながら、現在ではアルトゥーロ・エスコバルやマリソル・デラカデナなどのラテンアメリカの人類学者たちにも引き継がれている。1994年にメキシコで起こったサパティスタの叛乱とその後の彼らの自治がこれらの理論の現実的な政治的な回答として参照されている。彼らが主張するのは、西洋の「認識」から見た「多様な文化」ではなく、実際に生きる場のある「多元的な世界」である。

ダナ・ハラウェイ『犬と人が出会うときー異種協働のポリティクス』青土社2013

Danna J. Haraway “Staying with the Trouble” Making Kin in the Chthulucene Duke University Press 2016

Marisol De La Cadena & Mario Blaser, editors “ A World of Many Worlds” Duke University Press 2018

Isabelle Stangers” Cosmapolitics I,II” University of Minenesota Press 2010(英訳:オリジナルのフランス語版は2003)

Arturo Escobar “Designs for the Pluriverse: Radical Interdependence, Aoutonomy, and the Making the Worlds” Duke University Press 2018

マリリン・ストラザーン『部分的なつながり』水声社 2015

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Takeshi Inoue
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障害者自立生活センター勤務。障害者の世界と健常者の世界、スペイン語の世界と日本語の世界の仲介者。現在コスタリカの自立生活センターで働いています。 Un japonés que trabaja en el centro de vida independiente MORPHO en Costa Rica.