Takeshi Inoue
blogescala
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6 min readDec 7, 2018

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金沢医王病院に入院している斎藤実さんに会いに行ってきた。昨年の5月に同じ職場の筋ジスの同僚が福井のコムサポートプロジェクトに訪問を頼まれたのに介助でついて行ったのがきっかけで知り合ってちょうど1年になる。

介助者にはなぜだかよくわからないが、気の合う障害の種類というのがあって、CPフレンドリーとか頸損フレンドリーとか呼ぶとすればぼくはおそらく筋ジスフレンドリーな介助者なんじゃないかと思う。

特に2007年に三田市の兵庫中央病院から西宮に出てきて2009年に亡くなった田中正洋の介助に彼の自立生活のほとんどの期間介助に入っていたことはぼくの人生に大きな影響を与えている。

彼には当時立命館の大学院で筋ジストロフィーの患者の研究を行っていた伊藤佳代子さんとの共同研究もあり、地域に移ってからも呼吸器ユーザーの支援やまだ病院にいる患者の地域移行に尽力していた。伊藤さんと全国の旧国立療養所の情報を電話で長々と会話しているのを横で聞いていたり、彼が何の肩書きも持たず「田中正洋」個人として様々な人にいきなり電話したりメールしたりしてアポを取って出かけているのを見て、なんて勇気があるのだろうと思い、またこんなことをしていいんだと学ばせてもらいもした。ぼくが今活動家としてやっていることの多くは田中くんから学んだことだ。

そして2008年に職場ではJICAのラテンアメリカの障害者の研修を受け入れるようになったから、ぼくの仕事の比重は少しずつそちらに移っていき、2009年になってすぐ、とても寒い時期に田中くんは体調を崩してそのまま帰らぬ人となった。

JICAのその仕事は順調に進み2016年には念願の自立法も成立し、誰も信じていなかったけれど、ラテンアメリカで初めて国費での障害者の介助者の派遣を可能にした。意気揚々というほどではなかっただろうけど、ぼくは自分の仕事の結果に満足していた。医王病院を訪れたのはそんな頃で、ぼくは同僚の車椅子を押しながら病院の中でも一番奥まった場所にある斎藤さんの病室まで行った。その日は日曜日で、ただでさえ人の気配の少ない病棟がシン静まりかえっていた。ずいぶん長い間来たことがなかったけれど、旧国立療養所特有の雰囲気と匂いとがして懐かしさすら感じていたと思う。

病室で斎藤さん、そして同じ病室の奥のベッドにいた古込さんに話を聞いた。斎藤さんは30年、古込さんは35年この病院に入院して一番最近の外出が19年前だったなどと聞いたとき、それこそほんとうに走馬灯のようにここ10年くらいの時間に外の世界で起こったこと、障害者権利条約が批准され、差別解消法もでき、町もそこそこバリアフリーになって動きやすくなっていることなどが駆け巡り、それとはまったく関係なく、誰からも省みられることもなく30年以上この静けさの中で過ごしていた人がいるということにほんとうに愕然として眩暈がするような思いだった。

もちろん知ってはいた。全国の筋ジス病院にもっとたくさんの人たちが同じように暮らしていることを知らなかったわけではないけれど、少なくともぼくはここ何年もそのことをちゃんと意識して考えたことはなかったと思う。いったいぼくは何をしていたんだろう、そう思った。

金沢から帰って、すぐに斉藤さん古込さんとフェイスブックでつながり、話をしているうちにいくつか質問を受けるようにもなってこれは障害者が答えた方がいいかなというのもあったので、職場の筋ジスの人たちを加えてグループにしてだんだんその他の人たちも増えて支援グループみたいな感じになっていた。

しかし、ぼくが意図していたのは支援などというものではなく、とてもシンプルに病院の中にいても一人じゃないよというメッセージを発しつづけることだったと思う。実際ぼくらは以来オンラインでずっとつながりつづけているし、それはけっしてバーチャルなものではなく、現実にそこで交わされる会話によってぼくの方も喜んだりがっかりしたり、また腹を立てたりもしている。30年そこに横たわりつづけた孤独というものがそんなに簡単に解消するものではないけれど、それでもぼくはそうせざるを得なかったし斉藤さんがこちらの世界に帰ってくるまでずっとつづけると思う。

そしてそれは役に立ったのではないかとも考えている。斉藤さんはこの間、それまで年に一度の病院の外出日に家族とともに外に買い物に行く他は外出したことがなかったのだけれど、10月に1回、それと年が明けて3月17日に先に地域移行を果たした古込さんが出るシンポジウムに参加するために自力で介助者を伴って外出した。そして先日4月6日の病院でのカンファレンスを家族と、医師、市の相談員、病院のソーシャルワーカーに囲まれながら斉藤さんが単身で乗り切って自立の意志を伝えたことはとてもすごいことだと思った。この世界で仕事をしていると、人の可能性の計りしれなさを、それほど多くはないが感じされることがあり、コスタリカではルイスがそれを感じさせてくれたが、このカンファレンスを乗り切った斉藤さんもまさにそうだったと思う。自信をつけて、今は逆に支援をしているぼくらの方がが尻を叩かれているくらいになっている。

現在斉藤さんを福井のコムサポート、京都のJCIL、西宮のメインストリーム協会で支援して今年中の退院をめざしている。古込さんの自立には立命館大学の立岩真也先生も関わっていて、立岩さんは10月に旧国立療養所の問題を書いた本の出版を予定している。それに合わせて斉藤さんの支援に関わっているこの三団体も加わって何かシンポジウムのようなものを開催する計画も進んでいる。今の日本の社会では、このようにほとんど省みられることもなく何十年も入院生活を強いられている人たちがたくさんいる。こうした状況を少しでも知ってもらえる機会になればいいと思っている。たしかに、現在ではインターネットも普及して病院に入院しいる人たちともつねに連絡が取れる状況にはなっている。しかしながら、入院している人たちには子供の頃からそのまま病院しか知らずに過ごしてきた人も多く、彼らの常識がイコール病院の常識になってしまっている人も多い。自分から外部の人に連絡して支援を求めることは少ない。全国の支援団体の人はぜひ積極的に病院を訪問して彼らに手を差し伸べてほしい。(2018年6月2日にフェイスブックに上げたものの再喝)

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Takeshi Inoue
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障害者自立生活センター勤務。障害者の世界と健常者の世界、スペイン語の世界と日本語の世界の仲介者。現在コスタリカの自立生活センターで働いています。 Un japonés que trabaja en el centro de vida independiente MORPHO en Costa Rica.