Takeshi Inoue
blogescala
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Sep 11, 2021

“y’s”と題されたこれらの映像は、かつての兵庫県氷上郡、現在の丹波市で生まれ、関西学院大学商学部入学とともに西宮市に移り住んで自立生活を送った筋ジストロフィーの青年藤原祐樹くんが亡くなるまで11日間の介助者たちの証言が記録されている。三部に分かれており、それぞれ1時間25分06秒、1時間16分02秒、1時間32分37秒であるが、これはたんに当時DVDに焼ける容量による便宜上のためだったと記憶している。y’sとは「祐樹のこと」くらいの意味である。

祐樹は、2006年2月2日、23歳の誕生日を目の前にして亡くなった。時折り雪が降ることもある寒い冬だった。筋ジストロフィーという病にはかつて死を定められたようなイメージがあり、今のように呼吸器の装着が一般的ではなかった時代には実際二十歳前にの短命で亡くなることも多かった。この頃はまさにこうした筋ジストロフィーやALSの人たちがこの「息する機械」とともにコミュニティで生きていこうとし出した時代にあたる。今から考えるとそれを付ける時機を逸したためであると考えられるが、祐樹は亡くなる前の数日間、現実と想像が渾然とした状態となり言動がおかしくなって来ていた。介助者たちは、それを不審に思いながらも、障害者の意志を最大限尊重するという自立生活の考え方に忠実に、時にそれは滑稽にすらみえるのだが、最後の瞬間まで懸命に介助をつづけようとしている。

y’sの製作をした私は、2001年に彼が西宮に来たときから介助に入っていた。中須佐町にあった昔のメインストリーム協会の事務所ではじめて会った彼はとても初々しく見え、なぜか「この人とは最後まで関わることになる」とふっと思ったことを覚えている。このときの私はまだアルバイトの介助者で、毎週木曜日だったか夕方大学に迎えに行き夕食の支度をして食事を終え、泊まりの介助者が来るまでの時間帯の介助に入りつづけていた。

2004年に職員となり配置転換的なもののため、彼が亡くなる前に別な利用者の介助に行くようになっていた。この映像で語られるような祐樹の状況を私はまったく知らずにいた。亡くなった後に周りの人たちに様子を聞けば聞くほど、何かそれまでにできたのではないかと思われ、また自分が介助に入っていれば何かできたのではないかと思わなくもなかった。

インタビューはだから、残された家族が肉親の死の真相を知りたい、と思うようなものが動機となっていただろうと思う。インタビュアーとして撮影に最後まで同行してくれた川井田将基さんも、直前の介助を介護福祉士の試験か何かで休んでいて、やはり私と同じような気持ちを抱えていた。インタビューはこの川井田さんの1月21日の介助から始まり、3年後に『介助現場の社会学』という著作を出版する前田拓也氏の2月1日の介助で終わっている。17人の介助者の人たちにインタビューしこの間の祐樹の状況を再構成したが、1月26日の午後に入っていた介助者の部分だけ学生さんで卒業してしまっていて連絡がつかなく話を聞くことができなかった。これらのインタビューの撮影を夏前くらいには終え、祐樹の死に至る経緯だけではなく、彼らがなぜ障害者の介助という仕事をするようになったのかのかも含めて大量に収録された会話を編集するのに時間がかかり、ようやく年末の12月26日に当時のメインストリーム協会のミラージュ作業所でインタビューに協力してくれた方々を集めて披露することができた。私の2006年はほぼこの映像の製作に費やされたことになった。

日本の障害者による介助者派遣制度獲得運動は2003年4月の支援費制度施行によってひとまず目標を達成したが、制度が安定するまでは厚労省との絶え間ない駆け引きがつづき緊張を強いられる数年を過ごしていた。現在私たちはその頃を、障害者の「運動の季節」と振り返っているが、それはまた脳性麻痺の青い芝の人たちが最初に声をあげた「運動の季節」から30年後にもあたり、どこかそれを「反復」していることを意識していた。だから私たちも『さようならCP』のような「映画」を作らなくてはならない、どこから降って来たのかもわからないこうした声がこの映像を作ろうとした無意識な動機となっていたと思う。

昨年6月にメインストリーム協会で「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」のセミナーを行った。地域で生活する筋ジストロフィーの人たちを支える介助者に焦点をあてていたため、準備の段階でもう何年も忘れていたこの映像を見直していた。障害者が何を望んでいるかを考え意を汲んでそれを実現しようとする介助者の姿は今でもつづく変わらないものであり、自立生活運動が獲得したものである。2020年の今、それを精神障害や知的障害者に拡大していこうとしているとき、やはりどういう介入があり得たのかということは考えておいてもいいだろうと思う。とはいえ、私が仮に介助者の一人としてあの場にいたとしても彼ら以上のことはできなかっただろうと今は考えている。http://www.arsvi.com/a/arc-s.htm#p(井上 武史 2020/12/18)

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Takeshi Inoue
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障害者自立生活センター勤務。障害者の世界と健常者の世界、スペイン語の世界と日本語の世界の仲介者。現在コスタリカの自立生活センターで働いています。 Un japonés que trabaja en el centro de vida independiente MORPHO en Costa Rica.