ジェイン・オースティンの小説は思考のダダ漏れ

azusa yamamoto
book list of the future
4 min readMay 7, 2017

人は起きている間、ずっと考え続けている。もしかしたら寝ている間も、夢という形で考えてるのかもしれない。

そんなことはない、ただぼーっとしているだけの時間だってあるじゃないかと思いたくもなるが、きっとそこでも何かをぼーっと考えている。

普段は意識したりしない、そんな自分勝手な連想ゲームについて考えてみた。今にも途切れそうになりながら不意にアクロバティックな着地を見せたりする、人の思考というのはいったいなんなんだろう。

この前、「藤の花を見た」ことが「これまでに好きになった人の共通点」を導き出した。その間何があった(何を考えた)のか。結構面白かったので書き出してみる。

  • 自宅から会社に向かう道すがら、近所の家の軒先に鉢植えの藤の花を見かけた。
  • (横道)東京の東側の人たちは、なんでこうも植木鉢やらプランターやらを家の周りやベランダに置くのが好きなんだろう?
  • 藤の花は今がちょうど見頃だなあ。
  • 子どもの頃たまに大分にクルマで行くことがあって、山を越えるクネクネ道で外を見やると、川向こうに藤の花がたくさん見えていた。あれはきれいだったなあ。
  • (横道)今はトンネルが抜けて高速ができたから、もうあの景色を見ることはないんだろうな。
  • 自生といえば、実家の周りの山桜はもう散ってしまったかしら。
  • (横道)山桜といえば「うすべにに」。郷土の歌人(高校の先輩でもある)、若山牧水の歌を朝に夕なに吟じてたっけ。中学の頃。そのうちのいくつかは今でも諳んじられる。「うすべにに葉はいち早く萌え出でて咲かむとすなり山桜花」。
  • (さらに横道)若山牧水といえば、高校のときパネルディスカッションだか弁論大会だか、彼の作品を論じる会?に出席したあったな。「愁いの文学」なんていっぱしに説いたりして。今思うと…どうなんだろう?
  • 閑話休題、山桜好きなんだよなあ。色もまちまち、咲く場所も時期もまばらで、ドンチャン騒ぐ花見の対象にはなりにくいだろうが。そこがいいんだ。
  • (横道)ソメイヨシノなんて、愛してもらうために媚び売ってるようなやつじゃないか。それにまんまと目を奪われたりもするのだけど。
  • 山桜も、自生する藤も、人間のことなんか気にせず勝手気ままに生きていて、それでもなお美しいなんて素敵すぎる。
  • 人の魅力もそんなものよね。
  • あれ、わたしって結構「自分勝手な人」が好きなのか?
  • これまでに好きになった人の共通点、そこかー。

ここまで思い至って、その思考の道筋を辿りなおしたら、なんかすごいことになってた。この間約2分、歩いた道のりは200メートルくらい。iPhoneで1曲聴き終わるか終わらないかの時間に、わたしは心の中でこんなに独り言を言っている。

考えなくちゃと思わずとも、ただぼーっと道を歩いているだけでこんなに思いは巡るものなのか。そのことを、おそらく生まれて初めて自覚した。それはまるでジェイン・オースティンの小説のように、とめどなく溢れる思念の織り成す…なんてたとえてみれば聞こえはいいが、結局「思考のダダ漏れ」である。それを1つの形にするには、また違うレイヤーの(まさに今しているような)思考が必要なのだろう。

と同時に、結論(ともいえないような結論だが)に至るまでの思考の分かれ道があまりにも多すぎて、この道を辿れた奇跡に心を打たれたりもする。横道が横道を呼ぶように、まったく別のところへ行き着く可能性だって十分にある。たとえば「沖縄に行きたいな」だとか、「お腹がすいた」だとか、どんなところにだって着地していいはずだ。

そんなオムニバスの短編集があったらきっと面白いだろうなと思う。小説の始まりは皆同じ。そこから主人公たちがどんな風にどこへ行き着くかは、書き手の想像力次第。どういう人に書いてもらいたいかな…などと、さらに思いは今も駆け巡る。

to read books #認識論

--

--