善意について
4月15日神奈川県川崎市で、電車が近づく踏切に立ち入った高齢者と、それを助けようとした男性2名が亡くなったという事故のニュースを聞いて
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2 min readJun 4, 2017
目の前の踏切で人が電車に轢かれそうになっていたら、わたしもきっと助けるだろう。でもそのとき咄嗟に思うのは、「あの人を助けなきゃ」ではなく、「目の前で人が死ぬのを見たくない」な気がする。それってあんまり褒められるべき動機じゃない。
思い返せば、善意とか勇気とか良識ある行為について、わたしは誇れる動機を持っていないかもしれない。電車でお年寄りに席を譲るのは、彼らが座れないでいる空気に自分がいたたまれなくなるから。責められている人をかばうのは、自分が責める側に加担していると思われたくないから。人を殺してはいけないと思うのは、人を殺すような自分が許せないから。
結局はぜんぶ自分本位。
そういえば、昔読んだマンガで「人間は絶対人のために泣けない。大事な人が死んでも、その人をなくした自分がかわいそうで泣く」というようなセリフがあった。話し相手の言葉がそのあとに「それでも、あなたが死んだらぼくはきっと泣く」と続く。
わたしは、あなたをなくしたわたしがかわいそうで泣く
「人」とか「お年寄り」とか顔のない存在に対するこうした善意はともすればニヒルに聞こえてしまうのに、それが「あなた」になった途端そうでなくなるのはなぜだろう。
(2017年4月18日のTwitterより、一部修正)
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