akionoguchi
Brilleaux
Published in
2 min readMar 29, 2017

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2017/03/29 川沿いの桜

最近毎日、朝夕と歩いて通る川沿いの道がある。

その歩道の途中に大きな桜の木が、まるで道にアーチを架けるように枝を伸ばしていて、桜の花はまだ咲いていないけれど、咲いたらとても立派であることを十分に予感させる。そういう幹の太さだったり、枝ぶりだったりするのだ。事実、僕も時間がないとわかっていながら、ついそこで足を止めては蕾のふくらみが前日に比べてどうであったかなど見てしまうし(ただし、これがわかるようなわかんないような程度の変化である)、同じように足を止めてやはり僕のように観察している/眺めている人などをよく見かける。時には同じ木の観察を他の誰かと一緒にしてしまうタイミングもあり、それはなんだか恥ずかしい出来事のような気もするのだけど、それをお互い黙って尊重し合えるくらいに、その道を通る時にはその桜の木がみんなの意識の中心にある。

今日の夕方など、そこを通りかかると、近所に住んでいると思しきおばあちゃんが、その桜の木の下を箒で掃除していた。その姿にとても驚いてしまった。だってまだ咲いていない、見頃でない桜の木、それの足元を掃除している人を初めて見た。そして、そういう姿がすごく良いなと思った。

彼女はまだ見ぬもののために手を動かしている。
目に見えるもののために手を動かすことよりも、きっと何倍も難しいことだ。

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