akionoguchi
Brilleaux
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2 min readMay 21, 2017

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2017/05/21 傍流

土日になると子供を公園へ連れて行く、車を一時間ほど走らせて実家の両親に孫を見せに行く。いわゆるこの社会でフツーな価値観の線上にあるようなことを最近はせっせとやっている。

多分昔は、そういったものにいかにして抗い、どうやってそこから外れるかという事ばかり考えていたように思う。だがそれは確たる理由に基づいたものかというと特段そういう事もなく、ただど真ん中にいる事を居心地悪く感じていただけだった。傍流である事、それだけで良かった。

今もその心のうちは変わらないけれど、状況が許さないこともある。今日も僕の両足は「フツー」の外側へはみ出ることはない。それでも、そこに身を置くことで変わってしまうことと変わらないことを知ることが、自分に新たな発見をもたらすかもしれないという興味もある。懐柔されてしまうかどうかは自分次第だ。

誰に何と言われようと捨て置けば良いのだと今日も自身に言い聞かせる。その間にも懐に忍ばせたものが、いざ取り出した時に錆びて使い物にならなくなっていたらそれまでだったに過ぎない。

でも鋭くなっていたら、なんでそんな風になるかはわからんけど、まあラッキーだよな。

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