それは私の仕事ではない。
そう言えるための生身の身体性について

昨晩、ある啓示を受けたので書き記しておきたい。短く。
先日から、仕事にやたらと時間がかかっている。いい質のものを納めようとするあまり、どんどん溜まって何件も抱え込んでしまうという悪循環に陥った。
今までのペースでは到底乗り切れそうにない。もともと、この仕事は一件仕上げるのに丸一日かかる。それを半日で仕上げるにはどうしたらよいか。
いっそ仕事の進め方を変えたほうがよさそうだと思ったので、あらゆるメソッドやツールを片っ端から漁ってみた。諸先輩にも教えを乞うた。人手に頼ってヘルプもお願いしてみた。
だが、どれもしっくり来ない。かえって煩雑になるばかりで、一向に改善しない。なんだこれは?
で、つらつら考えた。
ウェブで簡単に手に入るいわゆるノウハウやハウトゥ(巷の言葉で言えばハックか)、そういうのがたいして身につかないのはなぜだろう。いや、人によるだろうけれども、ぼくの場合。
そういうものは、結局その場しのぎでしかない。またいつかハマったときに、新手のハックに助けを求めているに違いない。
インターネットで仕事をしていると、変化のスピードが激しいあまり、そういう場当たり的な行為が日常になっていくのがよく判る。ま、ぼくの場合。
そうではなくて、もっと根源的な(それこそ)ハックが必要だ。骨身に染み付いていて無意識でも機動するハックが。
待てよ。
そもそも、手早く片付けてしまおうという了見がいけないのか。むしろ思いっきり時間をかけたとしたら、どうだろう。
と思ったその時、降りてきた。
丸一日かかる仕事を半日で仕上げる最善の方法は、丸一日かけて仕事し続けることだ。そのうち知見も得るし技巧も身につく。それが生身の身体性として備わる。
身体性という言葉にもとより馴染みはなかった。一体どこから現れたのか、脳って面白い。調べてみると、その解釈もさまざまで難解だ。だがこの場合、労を厭わず繰り返し手とアタマを動かすことで身につけることのできる無意識の能力。ぼくはそう解した。
そしてそれは、実行した者にしか備わることのない能力だ。決して、誰にでも汎用に拝借できる簡便な代物ではない。その者だけが銃爪に指をかけることのできる武器となる。
それが、自動的に反応するようになれば、自ずと仕事のピッチも上がるはずだ。丸一日かかった仕事も無意識の内に半日で終えられるかもしれない。要するに要領が身につく、手が勝手に動くということか。それこそ、生身の身体性ではないか。
安易なハウトゥに依存するだけかえって時間の無駄に思える。仕事をすることで報酬もいただきながら、この能力が身につくのだから考えたら有難い話だ。やらない理由はどこにもない。
そうと判れば、俄然、気持ちも強くなる。その身体性に則ってこなせる仕事をすればいいだけの話だ。むしろ、自分の身体性に適わない仕事はやるべきではないのだろう。「それは私の仕事ではない」と言えるのは、そういう人に違いない。いずれ、言ってみたい。
補足しておくと、それは「誰でもできる仕事はやらない」という意思表示でもある。なんでもAIが代替する時代が早晩やってくるが、その時に仕事ができるのは、生身の身体性を持つ者だけかもしれない。いや、冗談ではなく。
まあ、四の五の言わずに丸一日かけてやれ、ということだと了解して、今日も朝からパチパチと仕事に励んだ。思ったほどではないが、それでもたしかに進展した。あの停滞はなんだったのだろう。おつかれさま。
今日も最後までお読みいただき有難うございました。このブログは、ブログジェリーVol.62で書きました。