奄美大島で「作る」ということについて考えた

コワーキングツアーVol.15奄美大島編4日間を一気にリポート

ito tomio
cahootz
23 min readJul 15, 2018

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(あやまる岬観光公園を臨む)

国内版コワーケーションとして5月から再開したコワーキングツアー、その15回目は7月9日〜12日に奄美大島へ。今回はその4日間の行程とこの間に学んだことを記しておきたい。

【注意】
ものすごく長いので(Mediumのタイマーでは読了23分と出てます)、お時間あるときにぼちぼちお読みください。

※なお、前回の14回目の福井県若狭和田編のブログがまだドラフトのままで公開されていないことをここにディスクローズしてお詫びし近々にアップすることを宣します。順番が逆になり誠に申し訳ありません。

コワーキングツアーVol.15〜南海の楽園でコワーケーションしよう、奄美大島編〜

2018年7月9日(月)

その若狭和田でのツアーを振り返り、国内版コワーケーションをどういう建てつけにするかをあーだこーだと試行錯誤しつつ日程変更したのがよくなかったのか、数日前からの西日本を中心とした記録的な豪雨の影響もあって、結局、神戸からぼくと旧来の仕事仲間である藤田さんの二人組だけの参加となった。

さらにはこれまた観測史上稀に見る強大な勢力の台風8号が迫っていたので、最悪の場合は中止もやむなしと考えていたが、9日、関空の空は晴れ渡っていて、無事バニラエアは奄美に向かって飛び立った。ここで、何があっても参加すると英断した藤田さんにあらためて感謝の意を表したい。(下の写真右が藤田さん、テンション高め)

と同時に、主催者としての状況判断も重要であると思い知る。今回、宿泊先のホテル「ビッグマリン奄美」さんや後述のしーまの深田さんには、計画段階からいろいろとご協力いただいていたので中止にしたくないという心理が働いていたのは確か。しかし、結果として天候が回復したのはただ単にラッキーだっただけだ。

<教訓1>
自然には逆らえない。
以後、必要であれば直前で中止も辞さないこと。

で、着いたら、まっ晴れ。もわっと身体を包む空気に南国を感じる。

折しも奄美空港ターミナルビル増改築工事が完了しその落成式の真っ最中だった。おめでとうございます。

さて、まずは、あやまる岬の「みしょらんカフェ」に向かう。ここは、奄美の情報メディア「みしょらんガイド」などを制作運営するメディア会社「しーま」さんが5月にオープンした。つまり、情報メディアをやりながら一方でリアル店舗も経営しているという、いずれも地元活性のための重要なポジションであることに注目しておきたい。

<教訓2>
リアルな場があってこそローカルは活性化する。
情報がそれをブーストする。

実はそのしーまの深田さんには、今回のツアーに際していろいろと企画にご協力いただいた。(下の写真右が深田さん、後ろが「みしょらんカフェ」)

ここで我々二人組は、結局、3時間あまり滞在し仕事した。初日から仕事モードを忘れなかった自分たちを一応褒めてやりたい。

そもそも、どこにいても仕事はできるということを前提に組んでるツアーなので当然といえば当然だが、前回の若狭和田では正直なところ満足な仕事時間を持つことはできなかった。それが最大の反省点であり、今回の奄美ではそこをうまくクリアしたいと思い、いくつかプログラムを盛り込んでみた。

そのひとつが、しーまさんと何か共同で仕事をするというアイデア。

深田さんに相談したところ、ちょうど「みしょらんガイド」に掲載する記事を書くライターさんを増員したいとのことだったので、ならば奄美の町や自然を題材にネタを拾って島ガイド的なコンテンツを制作するのはどうかという話になり、もし掲載することになれば原稿料も払いますよ、とウレシイ提案もあったので、言ってみれば旅先でちょっとしたお小遣い稼ぎになるわけで、まさに一石二鳥、即それを実施することにした。

こういうアイデアは現地でアテンドしてくださる方と話してみてはじめて出てくるもので、そうした協働関係がまさにコワーキングであり、ささやかであってもコワーキングツアーの本質に迫る企画だと思う。

ただ、今回は参加予定だった地元奄美からのライターさんが急遽参加できなくなったのが残念だった。が、ライターさんならラップトップひとつで「移働」できるので、以後のツアーでも条件さえ揃えば開催するつもりだ。

で、もちろんこれはライティングに限らない。もし地元の企業さんになにか課題があるなら、それをお題にいただいて、ウェブ制作やプログラミングなど、ツアー参加者でなんらかのソリューションを提供する、ということもできないことはない。というか、すでに次回のツアーに向けてその企画に入っている。

これは、ツアーに盛り込むプログラムとして、いま仮に「仕事ごと」と言っている。

<教訓3>
おじゃました先で協働で仕事をすることを考える。
あるいは、お題をいただいて解決案を提供する。

もうひとつは「学びごと」だが、それはいずれ書くことにする。

そろそろ中心街である名瀬に行きますか、ということでクルマを走らせてたら「奄美パーク」という標識が目に入り、ちょっと覗いてみることに。そこにあの田中一村記念美術館があった。これがすごい建物だった。

あとで調べたら設計された佐藤総合計画のサイトに資料があったのでそちらもどうぞ。

田中一村といえば、奄美の黒糖焼酎「奄美の杜」のラベルで有名だが、日本画の世界にありながら独特の色彩感覚のこういう絵(権利フリーな素材がないのでリンク先をとくとご覧頂きたい)を描かれる。

折しも生誕110年の記念展が開催されていたので早速見学した。

あいにく作品の写真撮影はNGだったので、七五三みたいな写真しかないが、実に素晴らしかった。その実物を穴が空くほどつぶさに見る機会を得て大いに満足した。ちなみに作品集も出ています。

ふと見ると展示室や喫茶コーナーにあるテーブルや椅子も大変ユニーク。

絵にしろ椅子にしろ、造形物を創造するその才能に羨望とも嫉妬とも言える感情を抱くのはぼくだけではないと思うが、果たして人間とはものを作る生き物であるということにふと気づいた瞬間でもあった。実は、これが今回の奄美での最大の発見だった。

<教訓4>
人間はものを作る生き物である。

その先、一村の終の棲家があると知り、それも見学した。

なにか妖気のようなものも感じるが、芸術家の棲家とはこういうものかもしれない。

ようやく4日間お世話になるホテルにたどりついたのは夕方遅く。うっかり、ここの写真が一枚もないことに今気づいた。向井社長、すみません。

夜は、5月にロケハンに来た折に発見して気に入った地元の人御用達の「喜多八」さんで夕食。どちらかというと狭い店内に人がいっぱい、ワイワイガヤガヤ、気安く口がきける空気で実に居心地いい。刺し身を味噌でいただくのがまたオツ。

2018年7月10日(火)

翌日、午前中はビッグマリン奄美さんが特別に開放してくれた学習室で仕事。ぼくは東京のさる企業さんとZoomでミーティング。館内はそこらじゅうにWiFiが飛んでいるので全然問題なし。

どこにいてもこうして打ち合わせできるなんて、便利な世の中になったものですね。おかげで「移働」しやすい。

続いて、午後には記事制作のネタ探しに出かけるので、その前に地図を見ながら作戦会議。さて、どこへ行くか。

今回、別々に動くことも考えたが足のことも考慮して単独行動はやめにした。奄美と言えば海だが、ここは発想を変えて、どこか昔懐かしい町並みを探索し地元の人とお話するのはどうか、ということで思い出したのが、以前、少し立ち寄ったことのある市場だった。

ふたつあって、ひとつはここ、末広市場。

もうひとつ、その隣に永田橋市場があって、ふたつの市場が並んでる。

中は昭和の匂いをそこかしこに残しつつ、リノベされている店舗もたくさんあって古めかしくも新しい、一言で言えば若い人にもおっさんにも「楽しい」市場になっている。

永田橋市場の店舗の一部をあげておくと、こちらはカフェ、

こちらは文具店、

と、オシャレな店構えもあれば、こちらの店ではすももやパッションフルーツをいただくなど下町情緒の味わいが満載だった。

<教訓5>
古いものに新しいものを乗せることで違う価値が生まれる。
そこに古い人も新しい人も来る。

と、末広市場の中を行くと、なんと「あまみエフエム」ラジオのサテライトスタジオを発見。

聞けば、毎日12時〜14時に誰でも出演してお話ができるという。それはいいことを聞いた、では明日、参りますということで、この日は市場をあとにした。

問題はこのあとだった。現金が乏しくなってきたのでどこかのコンビニでATMを使おうと思い検索したら、ジャパンネット銀行の使えるコンビニが全然ない。しまった、そういえば、ゆうちょ銀行なら全国どこでも使えるので作っておこうと思ってたんだった。

「イオンなら使えるかも」という藤田さんのアドバイスに従ってイオンに電話して聞いたら「はい、イオン銀行のATMでご利用いただけます」とのこと。やった。歩いたら少しありそうだったので、眼の前を通りかかったタクシーで出かけてカードを入れたら「お取り扱いできません」と無情なメッセージが画面に。

ちょっとまってよ、とサービスカウンターで聞いたら、「あー、ダメみたい」と、電話のときと違うこれまた非情なお返事。で、どこか使えるATMはないかと尋ねたら「鹿銀でしょ」「は?かぎん?」「鹿児島銀行ですよ。海岸沿いに少し行ったらファミリーマートがあるから、そこの鹿銀のATMを使ってください」「あ、そう、じゃ」と、近そうに言うから今度は歩き出したものの、これが結構距離がある。

もうこのへんで、日頃運動不足のぼくは汗みどろで、足もフラフラ。マラソンもする藤田さんはスタコラ歩いていく。この体たらく、実に情けない。

やっとファミマを見つけてカードを入れると、またしても「お取り扱いできません」。あのね、と怒る元気も失せていくぼくの脳裏に、「待てよ、ジャパンネット銀行で検索したほうが早いんじゃないか」と今頃になって気が付き調べたら、ゆうちょ銀行でおろせることが判明。なんで気づかなかったのか。バカバカバカ。

じゃ、そのゆうちょはどこだと地図を調べたら、あらま、そのファミマの目と鼻の先だった。イオンさんの言ってたことがほぼ正しかったわけだが、実はそこは最初にタクシーを拾ったところだった。なんという無駄な時間と労力。

地図を見るとホテルまでもう半分の距離まで来ていた。このまま歩いて帰りましょう、という藤田さんに励まされて、結局、この日、約7km歩いた。まあ、ぼくにしたらですけど、いい運動になりました。

<教訓6>
地方に行くときのためにゆうちょ銀行の口座は必須。
ただし、ジャパンネット銀行はゆうちょで使える。

2018年7月11日(水)

で、3日目、午前中またZoomの打ち合わせを済ませてから、意気揚々とサテライトスタジオに出かけていった。

話はもちろん、コワーキング、コワーキングツアーのこと。まったくのぶっつけ本番で、なんの打ち合わせもなく、パーソナリティの方も「コワーキング」はご存じなく、そこから話は始まった。いつもは話の長いぼくだが、今回ばかりは「放送」なので短くまとめたつもり。

それがこれ。よろしければ9分24秒、お付き合いください。

音声だけで伝えることはきっと本当はとても難しいことなのだろうと思うが、こうして聞き手がいてくれると(ぼくなんかは)話しやすい。海外ではポッドキャストやオーディオブックなど、なにか他のことをしながら音声で情報を得るというのが割と当たり前になっていると聞くが、そうしたデジタルコンテンツに仕立て上げるのも「ものづくり」のひとつだ。

そしてそれは、いつものスタジオではなくて、市場の中ででもできる。場所を変えて、空気を変えて、出る人が変わることで、また違うものができあがる。素材を変えると言えばいいのか、これはもしかしたら、一昨日の田中一村の画業にも言えることかもしれない。

<教訓7>
目に見えなくても、触れなくても、ものづくり。
それはどこででもできる。

そのあと、かねて希望であった黒糖焼酎の工場見学に向かった。ぼくは黒糖焼酎のファンなのだが、中でも『龍宮』というブランドが好み。ネットで調べると見学OKだったので電話で申し込んだ。富田酒造場という蔵だ。

ここの富田社長にお話をうかがった。(下の写真真ん中が富田社長、右は向井さんだがホテルの向井さんとは関係ないらしい)

同社はまだ奄美がアメリカの占領下にあった1951年に、名瀬の蘭館山の麓で創業。それ以来、32個の540リットルの大甕で昔ながらの仕込みを続けている。この時はあいにく先週に仕込みが終わったところだったので、大甕はすべて空だった。

大甕はひとつひとつ手作り。地中に埋めている理由は保温のためであり、逆に埋めていないのは冷やすためで、鹿児島では全部埋まっているが、沖縄では埋めていない。つまり気温によって大甕の埋める深さを調整している。富田酒造場では間を取って、埋めている部分と埋めていない部分がある。

53年まではタイ米を使っていたが、いまはうるち米を使う。米を削る割合は90%。「削りすぎると個性がなくなってつまらない」。賛成だ。

黒麹菌は鹿児島の河内源一郎商店のものを使用している。この河内源一郎商店さんは業界では知らない人がいないぐらいすごい会社で、なんと麹と米を蒸す機械まで自社で開発している。これがそれ。

富田社長の「風」についての話が面白い。

奄美大島と波照間島は約770km離れているが、その間にある大小の島は一年中、海を渡る季節風に吹かれている。以下、同社の資料から。

冬は東シナ海を渡る寒い北西風(ミーニシ)。初夏は南シナ海を渡る暑い南西風(マラブ)。夏は、南風(ハエ)、台風。春と秋は、西風が吹く。

(同社の銘柄である)「らんかん」「かめ仕込」「龍宮」の原料は、波照間・多良間島などの黒糖。雨が少ないので塩のほろ苦さがでる。酒質はキリッと潮風を感じる味わいになる。

「まーらん舟」の原料は、雨が多い徳之島の黒糖。登り窯の様な手作り小屋。黒糖は柔らかく上品な甘さ。酒質は、トロ〜と上品な旨味を感じる味わいになる。

つまり、銘柄によって黒糖を変えているが、それも海、風、雨など、自然の生み出すさまざまな条件によって味が変わるからだという。実に深い。

事実、沖縄産と徳之島産の黒糖をかじらせていただいたがぜんぜん違う。これは沖縄産。よくあるそれだ。

こっちは徳之島産。ミネラルたっぷりという味がする。

ここに蔵を開いた理由は、山裾で市街地より3度は気温が低かったからだそうだ。先の大甕を埋める深さもだが、何年もかけてたどり着いた、まさに「ものづくり」の奥義というものを聞く思いがする。

もうひとつ、それなのに、いやそれだからだろうか、社長の言葉でハッとしたのは

原材料の具合によって味は変わるもの。そこはあえて調整しない。同じ味を作ろうと思わなくていいんです。

という言葉だった。つまり、銘柄は同じでも作るとき時によって微妙に違いはある、むしろそれを愉しむ、そういう姿勢で作っているということだった。これはすごい。

<教訓8>
原材料には徹底的にこだわる。
そしてまた、原材料によってできるものが違って当然。
むしろその違いを活かす。

ちなみに、「まーらん舟」とは、17世紀ごろの中国との交易に使っていた船のことだそうだ。ついでだが、このラベルは社長が一枚一枚手書きしてる。紙は地元奄美で桑の木から漉いているんだそう。すごく手が込んでいて美意識が高い。見習いたい。

酒造りはどこの国でも長い歴史と奥深い世界観を持っている。奄美の黒糖焼酎もまた例外ではない。「ものづくり」の典型かもしれない。

さて、黒糖焼酎が今回のぼくのメインイベントだったとすれば、次のハンドメイドは藤田さんのメインイベントだったと言える。

しーまの深田さんから、ハンドメイド商品の販売サイトであるminneさんで「第2回あまみハンドメイド大賞2018」の「大賞」と「オーディエンス賞」をW受賞された増田さんをご紹介いただいた。

増田さんは大島紬の蝶ネクタイなど、奄美大島独特の素材を使ってさまざまな作品を製作し販売している。今回、実店舗「FUETA」を開業されたので、そちらにお邪魔してお話を伺うというのが藤田さんのミッションだった。

店内の作品は、男のぼくが見てもどれもとても上品で可愛らしかった。こういう手作り商品をネットとリアル店舗の両方で販売していくのは大変な労力だと思うが、しかし、ご自分が好きで作ったものが高く評価されて買っていただける喜びはそれにまさるものだろうと容易に想像できる。

<教訓9>
その土地ならではのものをアレンジして活かす。
古い素材に新しいテイストを加える。

実は藤田さん自身、ウェブ制作やサポート業をするかたわら、手作りお手玉のネット通販「ミナル屋」も運営している。

そういったこともあって、ハンドメイド大賞受賞された増田さんにはたいそう興味が湧いたらしく、勢い込んでのインタビューだった。その模様は追って取材記事にまとめられるようなので、お楽しみに。

<教訓10>
同業者に学ぶ。

この日の夜は、深田さんオススメの「焼坊主」さんで食事したが、たまたま大阪から来島していた女性二人としばし歓談する機会を得た。おふたりとも、殊の外、奄美がお気に入りの様子だったが、大阪の人はやっぱりノリがいい。

そのあと、深田さんが連れて行ってくれた喫茶店「貴望」も、このオブジェが中央に鎮座していて実際に水が流れている点、ある意味昭和でレトロだったが、ここまで思い切ってやってくれるとかえって気持ちいい。

<教訓11>
何事もやるなら徹底的にすること。

2018年7月12日(木)

明くる日、ぼくらは鹿児島県大島紬技術指導センターにいた。ハンドメイド販売サイトのminneが、フリーランス育成に熱心な奄美市とのコラボで作家さんを招いてトークセッションをするので参加しませんかと、深田さんが誘ってくれたのだ。

その時の模様は奄美新聞でも報道された。

こうしたイベントは地元の方との交流の場になるので、コワーキングツアーとして今後は参加者ではなくて自前で企画開催したいと思う。

実は奄美市はminneを運営するGMOペパボ社と提携関係にあるが、元々、「フリーランスが最も働きやすい島化計画」という斬新なネーミングのプロジェクトを展開している。

このプロジェクトでは、2020年までに200人にフリーランスを育成すること、50名のフリーランスの移住を達成することが目標になっていて、研修教育プログラムの「フリーランス寺子屋」などを運営している。

今回、多くのサポートをいただいたしーま社はこのプロジェクトにもコミットしている。その代表である深田さん曰く、

奄美にはもともと大島紬という基幹産業があり、女性だけでも月に20万くらいは家で子育てしながら在宅で稼げる時代がありました。僕らの母がそんな感じで、周りの女性はみんな機織りをしてました。

それが衰退し、現在は機織りをしても時給換算で200円くらいだそうで、ほとんど後継者がいなくなる結果に。女性や外に出られない人が在宅でもお小遣い程度でもいいので収入を得る方法はないか?ということで始まったのがフリーランス寺子屋です。

フリーランスというワークスタイルで島を活性化しようという発想には、そうした背景があったわけで、そのひとつの方法としてハンドメイドにも力を入れているというわけだ。

こうした地方行政の施策とインターネット企業が手を組むスキームは、これからもどんどん現れる気がするし、奄美市のような取り組みを他府県も参考にしたらいいと思う。

ちなみに、しーま社は現在9名でメディアの制作運営をしているが、代表の深田さん以外は全員女性だ。「今後、さらにフリーランスや、女性、主婦、また退職して時間を持て余している人たちと協働で島お越しの活動を続けていく」と意気込んでいる。

<教訓12>
女性の持つ才能をどう活かすかが地方の行く末を決める

ということで、奄美空港への途中、「奄美リゾートばしゃ山村」で軽く仕事して、そろそろ引き上げる時が来た。

今回の奄美ツアーでは、奄美らしい海とか山とかではなく、街や人にフォーカスすることになったが、コワーキングツアーはそもそも、コワーキングが実現する「ネットワーキング」と、リモートワークが改善する「タイムマネジメント」を場所を変えてより効果的に実行するものだから、むしろ本来の趣旨に沿っていて有意義だったと思う。

そしてそれが理由だろう、この4日間考えたことは、まったく予想していなかったことだったが、「作る」ということだった。

メディア企業がカフェを開業することも、日本画家が南海の楽園で筆を揮うことも、昭和の市場にスタジオを開設することも、そこで番組を制作しライブで流すことも、島に流れる風の力を借りて焼酎を醸すことも、伝統の素材でハンドメイドすることも、女性の能力で島お越しすることも、そしてコワーキングツアーを企画し開催することも、これらすべてが「作る」という行為だ。

我々は何か目的を持って、ものなり、コトなりを作る生き物であるということ。そしてそこに、自分以外の人が関わることで、また新たな価値を生むということ。そしてそれを繰り返すことで今ある世界がより良いものになるということ。だから、やっぱりツアーの中でもそこをきちんと実行していきたい。

それには、先ほども書いた「仕事ごと」と「学びごと」を盛り込んだプログラムを用意すること。次回からは、それでいく。それを再認識したツアーだった。

参加いただいた藤田さん、そしてアテンド、サポートいただいた深田さんはじめしーまの皆さん、ホテルビッグマリン奄美の向井社長はじめスタッフの皆さん、田中一村記念美術館のフロントおよびカフェのスタッフの方、喜多八の皆さん、末広市場ならびに永田橋市場の皆さん、特に定食屋光と川畑砂糖店のお母さん、あまみエフエムの皆さん、富田酒造場の富田社長と向井さん、FUETAの増田さん、焼坊主の皆さんと大阪から来られてた女性お二人、カフェテラス貴望のマスター、奄美市役所の職員の皆さん、minne、GMOペパボの皆さんとハンドメイド作家の皆さん、ラッキーレンタカーさん、その他奄美でお会いしたたくさんの方々、本当に有難うございました。また行きますので、その節はどうぞよろしくお願いします。

帰りの飛行機からは夕日に映える屋久島が見えた。さて、次回は、沖縄です。詳細は追って告知します。ぜひご参加ください。

ということで、最後までお読みいただき有難うございます。

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他にも、「カフーツ式BlogMagazine」に書いていますので、よろしければチェックください。

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ito tomio
cahootz

コワーキング・プロデューサー。メディア企画、執筆、翻訳、編集。2010年、日本で最初のコワーキングスペース「カフーツ」を神戸に開設。2012年、経産省認可法人コワーキング協同組合設立、代表理事就任。2014年、コワーキングマガジン発行。2016年、コワーキングツアー開始。訳書に『グレイトフルデッドのビジネスレッスン』他