不労所得こそ人類の歩む道。労働のなくなった世界で必要なこと

働かざる者食うべからずとは言いますが、働かなくとも食える時代や地域というものは、古今東西、人類史において存在していたことは確かですし、AIやロボットが発達すれば、これからますますそのような世界を僕たちが生きることになる可能性は高まります。

労働者として確実に人間よりも優れた能力を発揮できるのは機械やコンピュータである以上、少なくとも今よりも単純労働の機会が減ることは受け入れて、人が働かなくてよくなった社会について考えることが大切なのですが、

ここから前進できないのにはやはり就職がゴールであるという意識が、少なくとも日本人には深く根付いていることが大きいでしょう。

これは言い換えれば働くことがゴールになっているわけで、働くことに対してそれ以上でもそれ以下でもない、ゴール以外の意味を見出せない、あるいは見出そうとしない節があるように思います。

かといって労働に対して全くの無関心というわけではなく、人生のゴールとして見据えていた存在なのですから、それなりのリスペクトや尊厳は感じているんです。

時として労働に携わるとは、人として非常に尊いことであるような、神聖視が向けられることさえあるほどです。

基本的に機械が人の雇用を奪う!人類が滅亡する!と大騒ぎをしている人には、この手の「労働教」の人が多いように見受けられます。

労働という型に囚われ、人間にとって大切な本質を見失っている人が、安易なテクノロジーアンチに走ってしまいがちなのではないでしょうか。

アンチというよりも単なる機械音痴なだけかもしれませんが…


なんのための労働か、そして労働とは、人としての自由と責任を獲得するための営みではなかったのか。

ここまでかしこまった話でなくとも、自分が不必要に苦労しなくてもよくなったという事実を、前向きに受け入れられる素直さが問われていることに気づくのは、この話を前進させるためのファーストステップでしょう。

働かなくとも食える時代が来たことを素直に喜べないのは、労働という、苦痛を伴わなければ生きている実感が湧かない、あるいは働く以外の方法で価値を創造するという発想がないから、というのも大きな原因です。

生きるために何かをすることを働くことと考えれば、別に自分が楽しいと思うことでお金を稼いだっていいわけです。

大変なのは自分の好きなことからいかに価値を創出するかですが、これこそが次の時代を豊かに生きるカギだと僕は思います。


単純労働はロボットが担うようになった時代において、人は単純労働から価値を生み出せなくなった以上、もはや知性や感性を活かさずして生きることは難しくなります。

より人間的な生き方ができるようになったとも言えるかもしれません。

働かなくていい世界を生きた先人たちが失敗してきたのは、ここに気づけなかったことにあるのでしょう。

正確に言えば、その点に気づいている人たちはいたのかもしれませんが、その発想を普及できなかったことが問題です。

労働からの解放=努力の終わり、あるいは労働へのコミットがゴールという考え方ではなく、

労働から解放されることが人としての道を歩むための一歩であるととらえるべきなのです。

いつの時代でも働くということは良い人生を送るための手段に過ぎず、

その先にあるものを常に見据えておく必要があるでしょう。

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