個性という名の没個性。逆張りしかできない人たちは一体どこへ行く
「逆張りスト」たちに課せられるミッションとは
皆が良しと言うと批判し、皆が批判するものには良しという、ひねくれた人はどこにでもいるものです。というか、twitterとかニュースサイトのコメントなどなどを見ていると、世の中には恐ろしいほどの数の「逆張リスト」がいることを実感させられてしまいます。
当たり前に対して疑問を投げかけるのは大いに結構なことではあるのですが、世のメインストリームに一石を投じて「自分は違う」「自分だけは最後まで闘う」立ち振る舞いや、そこで発せられる主張にはスジやアイデンティティが全く感じられないこともしばしばあります。
ひねくれているということは往々にして客観的に見て第三者が判断するものであり、決して自分から「私はひねくれている」と言うべきことではありません。
言ってしまえば「ひねくれ」は社会やコミュニティにとってある種の迷惑行為であり、よほどの自我や強い主張がなければ、本来避けるべき態度であるはずなのです。
ひねくれ者の分類
ひねくれているとは主流のムーブメントに対して斜に構えたりする態度のことを言いますが、インターネットの普及ですっかり手に入る情報の数が増えた現代において、毎日様々な議論がネットを通じて交わされています。
インターネットでは年齢・性別関係なく立ち振る舞いやすい環境が整っていますから、うまくネットに順応した人たちはどんどん力を持ち、多くの人たちに饒舌なトークで遠くの人たちにまで影響を与えるほどの重要人物になっていきます。
このようなインターネットで人を惹きつける「インフルエンサー」と呼ばれる人たちは、「高級ひねくれ族」です。
よく見ると「ひねくれ」にも段階があって、この高級ひねくれ族に当たる人たちは正統なひねくれ者たちとも呼ぶことができ、アイデンティティが強すぎるあまりに既存の社会へ順応することができず、自ら社会を創造していくことになった、あるいはなってしまった人たちです。
こういった人たちは基本的に「斜に構えてやろう」というひねた感情は基本的になく、自分に素直に生きたいだけの純粋な人たちです。
ただ自分のやりたいことやライフスタイルがメインストリームと合わないからひねくれているように見えるだけであり、世間一般で言われるほど性格の悪い人は少ないように思います。会ったことがないので確証はありませんが・・・
あるいは社会を自分なりにアレンジして、もう少しだけ過ごしやすい環境に仕上げてやろうというタイプもあります。彼らは「中級ひねくれ族」に分類され、高級ひねくれ族ほど社会に与えるインパクトは少ないものの、自分たちなりに既存の社会を盛り上げようという立ち振る舞いには自我やビジョンが常に伴っています。
彼らもまた世間からは「ひねくれた奴」と見られることになります。
迷惑で非生産的な「低級ひねくれ族」たち
そして最も価値が安く、かつ厄介な存在となるのが「低級ひねくれ族」と呼ばれるグループです。上で勝手に呼称していた「逆張リスト」はこのグループのことを指しています。
彼らは手当たり次第に世間で注目を集めるものを攻撃して他人に不快な思いをさせた挙句、代替案も出さないまま次の獲物を探す旅に出るものですからタチが悪く、かつこれと言ったアイデンティティやビジョンも持ち合わせているわけではないので、込み入った議論にも参加しようとはしてきませんし、もちろん自分で何かを生み出す努力もしません。
彼らは他人を批判したり世間に「自分は違うんだ」アピールをすることがアイデンティティだったり、ただただ目立ちたい一心で逆張りを仕掛けてくるものですから、真剣に社会を良くしたい、あるいは本気で新しい社会を築き上げたい人たちの足を引っ張りまくってしまいます。
実はこの低級ひねくれ族は名前も知られぬ一般ピープルだけでなく、それなりに名前の通ったジャーナリストやコメンテーター、評論家を称する人たちにも多いのが厄介なところで、こういった人たちに限って声が大きいところが問題なのです。
対してその問題に思い入れもないのに聞きかじった情報や印象だけで理屈をこね、さも自分の意見が正統であるかのような口ぶりで話すため、「低級ひねくれチルドレン」を量産してしまう女王アリのような役割を果たしています。
ひねくれていることは個性ではない
そして声の大きい「低級ひねくれ族」が産み出してしまうもう一つの弊害は、主体性のない人間をも量産してしまうことです。
斜に構えた態度も含め、態度や「なり」、姿勢と言うのはあくまでも個性が表面的に現れているに過ぎず、それらが個性を形作るきっかけにはなってもそれ自体が個性となることはありません。
ひねくれた態度や何かを批判することはアイデンティティを確保できたような気持ちにさせてくれますが、残念ながらそれは気のせいです。批判は気づきを与えてくれますが、「自我」そのものを与えてくれることはないのです。
結果ではなく態度や外見に個性を求める人は、個性的という名の没個性に陥っています。これはインターネットや言論の場だけでなく、今日では様々な分野で見受けられるのではないでしょうか。
低級ひねくれ族がランクアップするために必要なこと
人様に迷惑をかけるだけで何の生産性もない「逆張りスト」たちですが、彼らに救いようがないわけではありません。
彼らが中級・高級ひねくれ族になるためには、まずは強力な自我を持つことが必要です。
自我を持つためにはどこかに根を生やす必要があります。根を生やす場所はどんな分野でも構いません。政治の話が好きなら徹底的に政治を研究するのもいいですし、スポーツやアートが好きならその方面について学べばよいでしょう。
つまるところ、何かの分野についてお金は稼げなくとも、プロフェッショナルと呼ばれる人たちと対等に渡り合える・あるいは彼らを理解できる知識と能力と経験を身につける必要があるのです。
僕はゲームが好きなのでオススメしますが、趣味も関心事もない人はとりあえずゲーム機の一台でも買えば人生楽しくなるんじゃないでしょうか。
大事なのは物事に対してコストを払うことです。時間やお金をかけて何かに打ち込むことで、責任ある態度と何かに興味を持つ・理解する力が養われるのです。
外野から石を投げつけるのではなく、柵の中で石の投げ合いに参加する覚悟が現代人には問われています。
そこまでの意志を身につけることができると、晴れてランクアップです。一つの分野で根を張をはることができれば逆張リストは卒業し、インフルエンサーとして活躍することも夢ではありません。
要は一つの物事について徹底的に学び、酸いも甘いも理解することができるようになる必要があるということです。低級ひねくれ族が迷惑なのは無責任な立ち振る舞いですから、プロレベルになることで責任を背負うことができるようになれば、人も彼らの話を聞いてくれるようになるはずです。
自由と責任は常に表裏一体なのがこの世の理です。言論の自由が保証されている日本において、好き勝手に発言することは確かに憲法では保障されているものの、責任あっての自由の享受です。
どれだけ国民に自由が保障されていようとも無責任な振る舞いや発言に権利が与えられるほど甘くはありませんし、まだこの国は腐っていません。
何でもできるようになった時代だからこそ、自由の定義が曖昧になっていく今日。無味無臭の毎日に少しだけ熱を加えることで、自由や責任の意味、そして生活に色が出てくるものだと僕は考えています。

