学歴の話はやめておこう。なぜ学歴コンプレックスはなくならないのか

「社会では学歴なんて役に立たない」という言説が力を持ち始めている昨今ですが、そんな流れに釘を刺すような記事をこないだ見かけました。

この記事を読んで「なんだ、やっぱり学歴は大事なんじゃないか」と思ってしまう人もいるかもしれませんが、そもそもこのデータはこれまでの日本における学歴と年収の関係、それも学歴至上主義によって支えられてきた人たちの年収を再確認しているだけの記事なのですから、この数字は至極当たり前です。

この記事、タイトルのつけ方がなかなかにいやらしく、さも「学歴なんて関係ない」と言っている人たちがウソつきのような印象を与えかねません。

何度でも言いますが、これまでの「学歴のみによってキャリアや生活が左右される社会」は間違いなく終わりを告げようとしているのは事実です。

そしてこれは決して学歴と年収が相関関係でなくなったという意味ではなく、

良い学校を、大学を卒業しなくとも、企業に勤めなくとも楽しく生活できる社会に変化しつつあるからなわけです。

「学歴なんて関係ない」の意味とは、学歴が大事でなくなったというよりは、学歴がなくても活躍できる場、ステータスにとらわれない場所が広がったという点にあるのです。

学歴に囚われず生きていきたいと願う方は、まず年収にこだわるのはやめましょう。そしてラクして生きていきたいというのもやめましょう。

ラクして生きることと、楽しく生きることは似て非なるライフスタイルで、

少なくとも楽しく生きることは必ずしもラクであるとは限りません。

楽しく生きるとは好きなことを徹底し、それを他者にとって価値のあるものに変換し、自分が生きていくためにその価値を切り売りすることです。

それを実現するためには努力を要しますし、時間も体力もお金も使い込むことになるかもしれません。それでも「楽しい」という気持ちが本人のエネルギーとなり、そしてそこで初めて他人にとって価値のあるものが生まれます。

人によって生み出せる価値のあるものは千差万別ですし、「これをやっておけば間違いない」というものはないとしまっていいほどです。


「学歴は役に立たない」という文句は努力の必要性を否定する言葉ではなく、むしろ学歴が身分を保障してくれる時代は終わったことに警鐘をならしていると捉えるべきで、

それはつまり、より一層の努力が僕たちに要求されているということです。

しかし重要なのは、「努力の矛先は学歴でなくともよい」という意味合いも含まれている点です。

自分が好きなことを徹底的に追いかけ、他者にとって価値あるものに変換する。

学歴は確かに僕たちを守ってくれるものではなくなりましたが、同時に僕たちを縛り付けるものでもなくなったのです。

努力の矛先が見つからないと嘆いている方は、焦って安パイに手を出すのではなく、まずは自分を見つめ直すところから始めてみるのが良いでしょう。

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