故意に起こされた炎上は決して評価できないし、されるべきでもない理由

最近は炎上とバズが結構ごった煮にされている節があるので備忘録も兼ねて記しておきますと、

自然発生的に生まれた炎上ならまだしも、少なくとも僕は故意に起こされた炎上や炎上を起こそうとする姿勢には反対です。

これは決してバズマーケティングが嫌だからとかそういうわけではなく、作為的な炎上というのは一部の人間を不快にさせることを前提にしたアクションなわけで、これは明らかにネチケットに反した不道徳な行為に他ならないんです。

賛否両論は湧き上がるものであって、湧き起こすものではありません。

そして炎上で生まれる賛否両論はたいていの場合、賛成派と否定派の融和ではなく、むしろ対立を助長したり、互いの派閥での繋がりを再確認する程度の結果にしか繋がりません。

それは言論の自由かもしれませんが、少なくとも炎上を取り巻く議論は有意義な結果をもたらさない、強いていうなら炎上の無意味さについての議論が高まるくらいのものでしょう。あとは悪口や暴言でストレス発散といったところでしょうか。


本当にあるテーマについて議論を深めたいと思うならば、まずは人をカットさせる文章ではなく、読ませる文章を書いて議論をふっかけていくべきでしょう。

読ませる文章を書いても人は読んでくれないなんていう人もいますが、そもそもテキストだけでその人の全てが決まるようなSNSやブログにおいて、文章を読まない人はそもそも議論に参加してくることもありませんし、

炎上でそういった人をカッとさせて無理やり議論の場に連れてきても、そう言った人たちのノイズのせいで正論を言っている人たちが不遇な思いをするだけです。

逆を言えば議論を始める人や参加する人が、どれだけ正論や議論の余地のあるコンテンツを持っていたとしても、誠実なリテラシーやネチケットを伴わなければ有意義な議論を行うことはできません。

そしてネットにおいて力を持っている人たちは率先して、リテラシーのあるインターネットとの付き合い方を示してほしいものです。

インターネットがポピュラーになる前からメディアに携わっていた人はそういうのが上手な人が多いので(下手な人もいますが)、そういった人たちのポリティカルコレクトネスというか、表現のバランス感覚は非常に参考になります。

そういうのがイヤでネットで好き放題やるんだ!という人もいるかもしれませんが、そういうことはネットでダイレクトにやってしまうのではなく、アートの世界で表現するべきでしょう。ネットを介して自身のアートを表現するのであれば僕は大歓迎です。


ある程度ネット上で発言力のある人が過激な物言いで人の注目を集め、それを言論・表現の自由やアートと標榜し、人を混沌に陥れる様はまさにアポリオンやエリスの姿を連想させられますね・・・

人間臭い言い方をすれば彼らはデマゴーグに過ぎないのですが、声の大きい人に弱いという僕たちの性質は、数千年たっても、世界大戦を経験しても変わらないものです。

それを不変の人の性とするかはお任せしますが、そこで自分が変わろうとしない限りは、適当なことを言って人を不快にさせ、社会を殺伐とさせて喜ぶ人たちはいつまでもいなくならないだろうと思います。

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