「自分ファースト」で何が悪い。アメリカに学ぶ社会の育て方。

これは僕がアメリカに留学している時にハッとさせられた経験なのですが、

アメリカ人は基本的に自己主張は激しくとも、他人の権利を侵害したり、他人の不幸を笑うようなことはしない人たちでした。

僕が滞在していたのがニューヨークだったということもあり、他人への思いやりが特に高い地域だったこともあるかもしれませんが、

彼らは物の扱いや仕事は雑であったとしても、決して人を粗雑に扱うことはなく、人の見た目や立場で態度を変えることもありません。

たとえ相手が自分より立場が上の人間でも不満は思い切りぶつけますし、たとえ困っている人間が警官、あるいは身なりの良くないホームレスであっても救いの手を差し伸べます。

彼らは「人がどう思うか」ではなく「自分はどうすべきか」という判断でアクションに移しますし、そこにタイムラグはありません。

なぜなら自分の振る舞いは必ず正しいから、という一見厚かましい正義感を伴っているからであり、

これこそがアメリカという国を一つの社会として成り立たせてきたメンタリティなのです。

つまり、「自分は絶対に正しく、評価されるべきだ」という個を育てる社会と、「評価されるべき個の主張」を評価する社会が両立しており、

アメリカ人は皆、自分の意見が社会に評価されることは確定事項だと考えているのです。

彼らがいつも大胆に振る舞い、そして他者に対して自分の正義を行使することができるのは、社会への絶対的な信頼に裏打ちされているとも言えるでしょう。

ある意味でアメリカ人は、社会に甘えた国民性を持っていると言えるかもしれません。独立した気風の裏に社会への依存があると考えると興味深いものがあります。


一方の日本はアメリカとは真逆です。「社会とは優先されるべきものだ」という空気を、社会自らが放ってしまっているぶん、社会や他人への、口に出せない不信感のようなものが、個人に重くのしかかっています。

現代の日本の「社会」は尊重することを要求しておきながら、個人に何一つとして還元しようとしない、無責任な側面をはらんでいるのです。

人を守るはずの社会が、個人をないがしろにしている。そんな状態こそ、今の日本が直面している問題なのではないでしょうか。

日本人は自分が大切にしている「社会」というものについて、改めて考えてみる必要があるでしょう。そして、そんな虚像の社会を少しでも私たちにとって有益なものとなるよう、意識して動いていく必要があります。

それこそがアメリカ人的な「自分ファースト」の精神性であり、健全な社会を育むための第一歩なのでは、と思います。

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