現代サッカーが失った1つの大切なマインド

現代と過去を比較する

Shunsuke Mori
chunkeke-nikki
5 min readJan 30, 2017

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現代サッカーが失った一つの大切なもの。

それは「遊び」である。

現代のサッカーを観ていると、どのリーグもサッカーの内容が同質化しているように思える。印象としては、どのチームも「シンプル・速い・強い」サッカーである。10年前・20年前はそんな印象はなかった。カテナチオのイタリアサッカー、トータルフットボールを体現するオランダサッカー、フィジカルと速さを求めるプレミア、常に攻撃的で観客をワクワクさせるリーガ、は濃く印象づけられていて、それらの特徴を持ったチームが一同が集まり競い合うチャンピオンズリーグは大いに盛り上がった。

しかし、現代のサッカーを見てみると多少なりは各国の特徴が見られる場合があるが(監督がその国籍の人であったりするため)、基本的には「シンプル・速い・強い」サッカーが主流な気がする。そこには、互いにスペースを消し合うサッカーである。限られたスペースの中で効率良くパスを回し、ディフェンダーを右に左に揺さぶり、若干の空いたスペースを突いて、FWが点を決めるような攻撃パターンがよく見られる。

そこには前ほど遊びがない。メッシが年間50得点決めようが、クリスティアーノロナウドが豪快なミドルを決めようが、サッカーを見てワクワクするプレーは少し前から激減してしまった。現代サッカーは成果至上主義であり、得点を決めることが善であるように感じる。評価対象はゴールに繋がるプレーを何回繰り返すことができるか、である。もちろんそれはどの時代のサッカーも同じことを求めていたが、それだけではなかった。ファンは他にもジダンのマルセイユルーレット、プジョルの豪快なスライディング、ロナウジーニョのエラシコやノールックパス、フィーゴのシザース、ベッカムの芸術的クロス、トッティのループ、デルピエロの斜め45度、など直接得点に繋がらなくても数々のプレーのためにスタジアムに足を運んでいた。そして今でもファンの記憶に焼きつけられている。

では、なぜ現代サッカーには遊びが消えたのか。それは、ビッグデータがサッカーに適用されだしてからであろう。選手の走行距離、スプリントの回数、ドリブル試行回数、各選手のプレーエリア等、事細かく選手の動きが分析できるようになった。それがわかることで、チームとして相手を自由にさせないためにスペースを消すフォーメーションを敷いたりするようになった。結果的に、シンプルにはたき、相手陣形を崩して攻撃する。カウンターで少ないパスのみでゴールに向かう、など効率的にゴールに向かうようになってしまった。選手のプレースタイルも、メッシのような体重移動のみで相手の軸を崩して、少ないモーションで相手を抜くフェイントは、現代サッカーが生んだ産物とも言えるだろう。クリスティアーノロナウドが10年前のようにシザースやクライフターンを連続で繰り出すこともなくなったのは、年齢とともにプレースタイルが変化したとも言えるが、サッカーの流行自体が変化してしまったからとも言える。

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プロサッカーはチーム同士が対戦をし、勝者を決めるスポーツである。しかし、プロの使命は同時にサポーターを魅了させる必要がある。最近では、勝った負けただけがファンにとっての癒しになっている。当然サポーターは応援するチームの勝利が最優先ではあるが、同時に勝利までのプロセスも魅了してほしい。派手でトリッキーなプレーが見たいと思っている。私もその一人である。かつてファンタジスタという言葉がよく使われていた時代のサッカーは、選手もサポーターも純粋にサッカーを楽しんでいたと思う。現代サッカーにはそうした感情は失われつつある。個人としては、ロナウジーニョが笑顔でサッカーをプレーしていたような「記録」よりも「記憶」に残るプレーが毎日のように現れる時代がまた来ることを願っている。

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Shunsuke Mori
chunkeke-nikki

Joyz Inc. Product Sales Manager/ Sophia Univ./givery Inc. Web Marketing and Sales/Rarejob CS&English counselor/EDUCA co-founder