自分を見つめ直す時間の必要性

Shunsuke Mori
chunkeke-nikki
Published in
7 min readJul 20, 2019

なぜ、小さい時の夢はほとんどが「スポーツ選手やお花屋さん、ケーキ屋さん」で、中高になると「え、わからない」で、社会人になると具体的で「給料これくらい、この会社に行きたい」となるのか?

みなさんは、このような問いを投げかけられた時にどう答えますか?先日ある学校の先生の授業を見学にいきました。そこで、このような問いが英語の授業で展開されていました。

What is the most important thing in your life?

英語の授業でしたが、なかなか奥の深い問いだなと。重要なことを考えることはすなわち自分を見つめなおさなければならない。普段大人でさえ、自分にとって重要なことなんて本気で考えている人は少ないのではないでしょうか。色々な理由をつけて考えないようにしている何てことありませんか。私もその一人です。なぜ考えないのか。生きる上で一番大切だと言ってもいいのに。個人的な見解として、以下が考えられると思います。

  • 今までそんなことあまりしてこなかったから慣れていない
  • 自分自身を分析することなんて恥ずかしい
  • 周りも考えていないからまだいいと思っている
  • 日常の環境とはあまりにも現実離れしていて、半ば諦めている
  • 現状満足しているので、あまり見つめる必要性を感じない
  • 面倒である

自分自身を見つめ直すのは結構勇気が必要です。自分のダメなところ、自分の隠したい過去、自分の根本的な欲求を掘り起こすことになるので、結構しんどいです。 そして、他の国の人たちはどうかわかりませんが、少なくとも日本人はあまりこのことについて考えるのに慣れていない。

もちろん人によりますが、例えば、「お金がたくさん欲しい」とか、「美人/かっこいい人と付き合いたい」とか、「有名になりたい」とか、「いろんな人に認められたい」とか。自分にとって重要にしていることを周りの人にストレートに言うことは日本ではなかなかできないですよね。それでも、自分にとって重要なものは何かを、本気で突き詰める必要性はあると思っています。だって、それがあなたの本当の姿であり、そこに真っ直ぐに向かうことが幸せを感じること、だと思うからです。

僕はとても不思議に思うのです。なぜ小学生の時の将来の夢は、野球選手やお花屋さん、ケーキ屋さんなのか。しかし、年をとるにつれて、中学、高校になると、「将来何になりたい?どこに進学したい?」と親や先生から聞かれても、「うーん、わからない」となるのか。そして、大学卒業間近~社会人になると、はたまた、「給料が欲しい、こういう会社」にいきたい、となるのか。

これは、日本の国民性がとても影響しているなと思っています。教育課程では、道徳などで、「あなたにとって将来の夢は何ですか」を考える時間や冒頭でも述べたような他教科の授業の題材として、考える機会はあります。しかし、マジョリティの生徒は、「Try to be good in Class」です。結局忖度しているのです。当たり障りないこと、先生も友達も「ああ、まあそんな感じね」と言った反応を期待するような夢や計画を語ります。つまり、本当の意味での自分の欲求を根本的に掘り下げる作業は、幼少中高では、ほとんどないかなと思っています。なので、結局中高生に「将来何したいの?」と聞くと、「うーん、わからない、流れに身をまかせる」となるのです。考えてみれば、お花屋さんやサッカー選手などの夢も大人の求める答えを言わせている気もしないなあと思います。ずっと日本人は忖度をしながら生きているのです。潜在的には興味のあること、好きなこと、たくさんあるはずなのに。自分に嘘をつき続けることは、辛いです。楽しくない。

これは本当に危険だなと、思います。(僕もその一人でした。社会人になり、もっと早く考えたことを行動なり、表現なりしておく必要があるなと思っているからこそ今こうして思いを綴っています。)

しかし、社会人になるにつれて、だんだんと具体的になっていきます。社会人になれば後ろ盾がありませんから、考えざる負えなくなります。まず、自分を見つめ直す時間が訪れる瞬間と言えば、大半の人は就活の時からではないでしょうか。自己分析とやらを人事担当から聞かされて、自分を分析してみる。しかし今まで自分について分析し、その分析結果から日々の行動に起こしたことはないので、「このままではまずい、就職できない!」となります。就活のために、夏休みとかを使い、急いで手っ取り早く、小手先の事例を作りにいく。そしてやっとこさ就職できたは良いものの、入った企業と自分の働く上での価値観についてズレが生じる。そして、第二新卒的により自分にフィットした会社を見つけるために、より自分を見つめ直す。その時点で、既に25,6歳になっているわけです。

もちろんこれは一例です。全員がそうではありません。しかし、大半の人々は、(個人的な主観ですが)ざっくり、25,6までに自分自身を本当の意味で見つめるのは、合計で2回~3回くらいではないでしょうか。しかも、20歳を過ぎくらいから社会人を意識し始める頃に考え始めます。

何が言いたいのかというと、単純に勿体無い、と思います。そして、現代社会を考えると、このような歳の取り方をしていると非常に危機的状況に陥りかねません。これからは、企業の肩書きなどではなく、個々人の信用が価値になっていきます。個人最適の時代においては、業界/分野で、どれだけの経験/実績を重ねたか、が重宝されます。言うまでもなく、中学・高校の頃から自分の意思を持って経験してきた人と20歳から考え始める人では、スタート地点が違い過ぎます。そして、海外では既に幼少期からギラギラした人々がたくさんいます。

では、教育課程から考え始めるようになるにはどうすれば良いのか?

端的に言えば、以下の要素を盛り込む必要があります。

  • 自分について見つめる時間を増やす
  • 誰も人の重要なことを否定しない、尊重する
  • コミュニティの幅を広げる
  • 社会との繋がりを持たせる
  • たくさんのことを知る

上記の中で、一番根治に繋がりそうなのは、「コミュニティの幅を広げる」「社会との繋がりを持たせる」だと思います。

前々から思っていることなのですが、生徒を取り巻く環境というのは、「学校」「クラス」「先生」「親」「塾」「部活」くらいです。非常に閉ざされた環境の中です。このような狭い環境の中では、上述したように、「周りがそうだから」のような考えを持つことに至ります。また条件が一緒ですから、評価される場所は、テストの点数や偏差値、部活で活躍できるか、くらいしかないので、自己肯定感が低い生徒も生まれてしまいます。

コミュニティの幅を広げるとは、学校外の生徒や社会人、地域の人と繋がること、をここでは意味したいと思います。これは、様々な知識レベルの人、経験レベルの人が混ざり合うことで、向かうべき方向は一つではないことを知ることが大きな目的としてあります。「テストの点数は低いが、絵を描くのは得意」、「コミュニケーションはうまくとれないけれど、文章を書くのがうまい」など、自分の特徴が認められる場所というのは外を見渡せばいくらでもあります。様々なセクターの人々と交流することで、「自分の好きなことは何か」が見えてきます。そして、それぞれの思いを社会人に伝えることに対しては、隣の友達にぶつけるよりも抵抗は少ないです。社会人になると、様々な実情が見えていますから、今まで見えなかった景色を見せてくれます。

結局のところ、いろんな層の人と出会うことが、自分の可能性を広げてくれるのかなと思います。ですので、自分の取り巻くコミュニティを徐々に広げていくような施策が必要であり、自分もそのような環境を少しずつ作っていきたいと考えています。

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Shunsuke Mori
chunkeke-nikki

Joyz Inc. Product Sales Manager/ Sophia Univ./givery Inc. Web Marketing and Sales/Rarejob CS&English counselor/EDUCA co-founder