なぜ気候変動は「全球地表面気温の平均値」であらわすのか

歴史と、わかりやすさと、データの長さという実用性

ほりまさたけ (Masatake E. Hori)
気候はいま
4 min readOct 27, 2017

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先日、気候学者でありソーシャルメディアでの情報発信を活発に行っている Gavin Schmidt 氏が「なぜ気候変動の議論においては全球地表面気温の平均値が主な指標になっているのか?」という話題を提供していました。

「全球地表面気温の平均値」という表現がすでに漢字が盛り沢山でわかりにくいわけですが、いくつかにわけて見てみましょう。

まず「全球」というと日本語だとわかりにくいのですが、これは地球上全部という意味になります。

地表面気温は、もちろん地表で測った温度ということになります。ただし、地表は非常に低いところから山の上や南極大陸の氷床の上まで、さまざまな高度にあるので、標高が違ってもどこも「表面」でいいの?という疑問が生じるかもしれません。

気候の世界では、地表は太陽から入ってきたエネルギーを受け止める境界として考えていますので、これは標高が違っても表面気温は表面気温として取り扱うということでよいことになっています(気圧は海面に対して更正したりなどします)。

平均は単純に、地球上のすべての点のデータの平均値を取ることですが、これにだって技巧があります。

単純な「緯度・経度」のデータならば極に行くほうが細かくなってしまって熱帯に比べてオーバーサンプリングになってしまいますし、データは陸上がほとんどで海上は少ないので、それも加味しないと厳密には算出できません。とはいえ手続きとしては確立した流れがある値なのです。

なぜ地表面気温で気候変動は語られる?

では、なぜ気候変動は地表面気温という値で示されるのでしょう。ほかの値はないの? それで本当にいいの? という疑問もなかにはあります。

Gavinさんはそれに対して、1) 理論的な理由、2) 歴史的な理由、3) 現実的な理由をあげます。

太陽からどれだけエネルギーが入って、どれだけ地球を温め、それがどれだけ宇宙に放射として消えてゆくかといった気候の単純な理解は、一次元的に「どれだけ入った」「どれだけ消えた」で記述することができます。

このとき、温められた地表が放射するエネルギーはいわゆるステファン・ボルツマンの式 σT^4 で表現されるので、このTを全球平均で置き換えるということをするわけです。

一次元とはいえ、まあだいたいはこれで合うわけです。

二つ目は歴史的な理由で、アレニウス、ティンダール、ミランコヴィッチ、フーリエといった先人が気候を表現するにあたって着目したのが気温だったからというのがあります。

カレンダーによる温暖化の記述、ブディコによる報告なども、すべて全球平均気温によって表現されているので、それとの一貫性で使用されてきたというのもあるという理由です。

三番目の理由が、実際的なものです。簡単に測れるし、過去に遡ることもできるし、類推に使えるという点です。

なにせ気温は気温計があればすぐに測れる物理量ですから17世紀くらいに遡ることも可能ですし、年輪や堆積物といった代替データから逆算することも、「温かいなら植物が多くなるはず」といった類推の根拠としても便利なわけです。

長いデータがあるからこそ、年々記録が更新されるたびにこうしてグラフをみせて「過去に比べてこうだった」といえるわけですね。

地表面気温だけがすべてではない

とはいえ、複雑な気候を表現するために「地表面気温」だけがすべてということはもちろんありません。

成層圏の変化は地表とは違いますし、地球の放射収支は陸のうえの氷の分布といったアルベドの問題からも論じないといけませんし、水蒸気の量と雲の量といった問題、海洋の中の熱といったものでも測らないと、変化の全容はわかりません。そしてその多くは、測ろうとしても困難だったりするのです。

軽い調子で「海洋の循環が」と口にしても、それを測定するためには船をだして、苦労して係留系やブイを投じて、時間をかけて測らないといけないわけですね。

全球平均気温は便利ですが、そういう限界ももったデータであるということは、どこかで覚えておいてほしい豆知識です。

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ほりまさたけ (Masatake E. Hori)
気候はいま

Blogger, Writer, Scientist in Japan. Editor of Lifehacking.jp. Tech, Culture, and Lifehacks in Japan. IT ツール、ガジェット日常を楽しくすることについて書いています。2011年アルファブロガー・アワード受賞