Takehisa Sibata
Commons OS
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7 min readMar 31, 2019

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平成のおわりにー新時代の新しい思想の創造と発展とー

1.新元号がいよいよ公表ー時代を振り返るー平成、そして次は???ー

いよいよ4月1日、元号が公表となる。一世一元の制(君主が在位中は元号を変えない)が始まったのが慶応4年(明治元年)と比較的新しい制度であるが、多くの日本人は元号ごとに時代を振り返ってきた。

「激動の昭和」、「戦争の昭和」、というような振り返り方をしてきた。また、大正時代は「大正デモクラシー」という明るい時代を連想する。明治とは「文明開化」の時代という様にである。平成とはどのように振り返られるのだろうか???

・災害の時代

・IT化の時代

・失われた30年

色々言われ方をするであろう。先進国から徐々に転落しつつある時代、と言えるかも知れない。次の時代はいかなる時代になるのであろうか?

次の時代には、シンギュラリティを迎え、AIが支配的な地位を持つ時代を迎えるであろう。また人口は、2053年にはいよいよ1億人を割ると言われている。団塊の世代がいよいよ2025年を境に全員が後期高齢者になる時代を迎える。社会保障の負担で考えれば、最も、きつい時代がやってくる。公務分野では、今の公務員の人数の半分でまわさないといけない、という論考が出されている。

GAFAがインターネットの巨大なインフラを抑え、国家以上の巨大な主体になりつつある。無料でインフラを提供しながら、各種個人情報、軍事につながる情報までもメガ企業が抑えているのである。一方で、EUを中心に規制する動きや、ロシアや中国を中心に独裁体制とセットになったインフラの輸出という考え方もある。国家を超えたメガ企業が主体でありながら、同時に対抗する流れが次の時代には生まれてくるであろう。

日本社会にとって、またまた平成以上の激動の時代が訪れようとしているのである。そして、AIの発展は、最早人間とは何か?を問い始める。GAFAとそれに続くかもしれない、国家を凌ぐメガ企業は、最早、「国家とは何か?」を考えるそういう時代になるであろう。

2 .Commonsが提示する未来ー新しいアナーキズム?国家主義?

ヨーロッパでは、メガ企業に対抗した市民が連帯するそうした動きが現れている。国家VS市民ではなく、メガ企業VS市民である。グローバル化やITの技術の発展は、国家を凌ぐメガ企業の出現させた。Google、Amazon、Facebook、Appleである。一社のGDPが一国分のGDPをしのぎ、インフラを提供する。国家や国家により規制されたインフラ企業が道路、上下水道、通信、電気が独占する時代が終了したことを意味する。

そして何より、現代の石油とも言うべき”データ”を独占している。”データ”の蓄積がAIのテクノロジーの発展を左右する上に、個人のプライバシーに関わるデータを握っている。データに沿ってマーケティングをすれば、政治的な工作活動も可能である。そうしたプライバシーからインフラを一つの私企業が独占していることに対する危惧がある。G

また、GAFAが税金を払っていない、課税逃れに対する批判、社会に対して税金という面で責任を負担していないという問題があるが、そもそもIT企業はサイバー空間と全世界で展開するため「どこの国の企業なのか?」という部分で意識が乏しい。サイバーアナーキズムという発想法に近い。

アイン・ランドは、「肩をすくめるアトラス」「水源」という小説を表していた。アイン・ランドは、個人主義・自由主義の思想家の思想である。あらゆる政府の規制を否定し、夜景国家を理想としていた。起業家や発明家など少数のイノベーターこそが時代を切り開いたものだと讃え、富を生み出さない者を悪とする思想である。人類が太古の時代から生き残ることができたのは、発明家や起業家等がイノベーションを繰り返したからであり、イノベーションを起こす行為そのものが人間の”生””生きること”の本質であるとした。個人が自分の幸福を最大化することが最上の生き方であるとする。この哲学は、アメリカにおいて経営者やシリコンバレーの経営者の間で非常に人気のある考え方である。

その発想こそがまさしく、GAFAやウーバー、ビットコインを生み出した。サイバー空間とは、規制がなく国境もない、自由な経済活動が出来る理想の空間である。そして、シリコンバレーのイノベーションは、Appleのスティーブ・ジョブズ、マイクロソフトのビル・ゲイツ、ウーバーのトラビス・カラニックなどなど少数の天才によるイノベーションに彩られてきた。個人主義、英雄礼賛、最小の政府・・・・。ベンチャーキャピタルとして有名なピーター・ティールが不老不死の研究や規制のない海上都市に投資する行為は、アイン・ランドのいう少数のイノベーターによる人類が生き残るためのアイン・ランドの哲学の実践である。アイン・ランドのイデオロギーを実践してきたのがまさしくシリコンバレーなのだ。。政府が介入しないサイバー空間の構築などである。アイン・ランドの哲学では、”社会のため””利他主義”を否定する。その考え方が、新しいものを生み出さないものを守るからである。その考え方が、ソヴィエトの独裁国家を生み出したと考えている。アイン・ランドは、ソ連の亡命者である。

アナーキズムにも近いリバタリアン思想の実践者であるシリコンバレーにとっては、国家の規制や税金を当然嫌う。そして、社会的義務という発想を当然嫌がる。既存の大企業が、ケインズ的な経済政策や高い法人税を受け入れ、社会全体を考えたこととは対照的である。利益の追求を肯定し、社会的義務と言う考え方そのものを否定した思想こそ、アイン・ランドの思想そのものの実践なのである。

こうした、”帝国”とも言うべき大企業の活動に対して、どう私たちは向き合うべきか?今後問われるべきであろう。それは、情報やインフラは誰のものか?という問いでもある。

国家や国境を越えた”帝国”とも言うべき存在になったメガ企業に対し、既存の政府の規制の枠組みでは対峙しにくいであろう。二つの方向性が出てくると考えている。

・中国やロシアに代表される国家主義。経済的豊かさをある程度保証しながら、国家によるサイバー空間への統制。国家主導で検索サイトやSNS、ECサイトを構築していく体制。

・市民によるインフラの管理、利他主義の実践。「21世紀の歴史」における超民主主義の実践。NGO、協同組合、企業が国境を越えて博愛を実践するイメージである。マイクロファイナンスなどがその例である。

サイバーアナーキズムがGAFAであるならば、中国やロシアが独裁国家による統制されたインターネットが一つの対抗する例であろう。国家が権威主義的な政治体制のもと、安定した経済成長を達成し、国民にある程度豊かさを保障する。言論の統制が行われ、独裁的な政治体制が維持される。サイバー空間では、GAFAやビットコインのような超国家主義的なものを否定し、自国政府主導によるインフラを構築する。超国家主義的なものは、自国の統制が及ばないからである。経済成長と権威主義的な政治体制、そしてサイバー空間の統制が、セットとなって世界に輸出していく、一つのトレンドになるであろう。新しい二十一世紀の国家主義なのかもしれない。

市民によるインフラの管理や利他主義の実践。例えば、ブロックチェーン技術によるシリア難民の支援やフェアトレードにおけるブロックチェーンの活用がその一例である。カタルーニャ地方の何度か取り上げているフェアコープのような国境を越えた社会問題を解決するプラットフォーム型の生協も一例であろう。国境を越えたNGOによる各種支援活動やマイクロファイナンスもその例である。ある意味では、”帝国”と呼ぶべき巨大企業に対抗する、新しい一つのアナーキズムと呼ぶべき者なのかもしれない。”帝国”に対抗する市民、それが一つのトレンドであろう。

おわりに

元号は何になるだろうか?ただ、平成と呼ばれる時代がおわり、国家を超えた存在がいよいよ本格的に出現する時代になるであろう。その一方で、中国やロシアに代表される国家主義が併存する時代であろう。そして、時代をつくるのは私たちである。何をつくるか考えようではないか?

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