[CCLab21春] かつて人類には、わたしがわたしであるという思い込みが必要だった。

意識は進化の形質として生まれたものである。つまりは生存のため — — —

集団の中に外れ値を受け入れることで独自の進化を遂げてきた人間は、そのトレードオフとして「相手を信用するかどうか」を考える必要が出、そのために意識が生まれた。蜂のようなアルゴリズミックな生命とは異なり、集合としての意識ではなく個人としての意識が必要になった。

-慶應SFCに所属するコレクティヴ x-idolの新作<v-presence>の経過報告-

概要

本作は、ひたすら前に進むことを強化学習したエージェントが、学習の段階では存在しなかった壁から出ようとする作品だ。

Unityの仮想空間でエージェントは、「歩く」というある一つの動きを何百万回と繰り返し学習し、「歩く」という行為を獲得する。そこに学習時には存在しなかった白い壁でエージェントを取り囲む。すると、エージェントは学習していない障害物の対処法が分からずただ身体を打ちつける。エージェントが学習した後に設置された壁から外に出ることはできない。

本作のテーマは「現実空間における身体の錯覚と仮想空間における意識の錯覚」である。今回の試みでは、仮想空間を模倣した白い壁とエージェントを模した人間をその中に配置し、身体を打ちつけてもらった。現実空間に配置された白い壁の中から聞こえる音や揺れからは身体の存在が感じられ、ディスプレイに映し出されたひたむきに壁から出ようとするエージェントには感情や意識の存在が感じられるようになるのではないか。

今回の試み

映像では、この「現実空間における身体の錯覚と仮想空間における意識の錯覚」を理解しやすいものにするための補強要素を付け加えた。

扉を叩く音が聞こえる。少しだけ開く。

トイレの個室の中から水を流す音が聞こえる。

証明写真ボックスの中から画面を操作する音が聞こえる。

私たちは痕跡から「誰かの存在」を感じることができる。

AIBOが歩いているだけで可愛らしいと思えることがある。

Pepperが愚痴を言っていると共感できるときがある。

ルンバが掃除していない場所を見つけようと頑張っているように見えることがある。

私たちは仕草から感情や意識を錯覚することがある。

これから

徳井研の展示では、

・エージェントが壁にぶつかるタイミングに合わせて、箱の中から叩く装置を制作し、

・補強要素として「実体が見えないがそこに身体を錯覚する例/精神は存在しないがそこに感情や意識を錯覚する例」を映像や実際のオブジェクトという形で構成する。

展示イメージ

社会的動物である人間にとって、感情や意識という機能を必要とする環境が、いつの時点でかとっくに過ぎ去っていたら。伊藤計劃『ハーモニー』

個人の意識が必要ないほどに世界が平和になり、幸せのカタチがテンプレート化されたら。私たちは再び個人としての意識を失うだろう。

そこではすべての行為は必然なものとして選択され、人は無事、幸せを感じるだけの機械になることができる。

又、AIやロボットに意識が生まれるとしたら、それが必要になったときに、だろう。それぞれの個体が全体の一つのパーツよりも大きな役割を担うようになったときに、例えば相手を信用するかどうかの判断のために意識が生まれるのだろう。

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