[CCLab21秋]自分が機械ではないという証明

機械の擬人化を通してパーソナリティのあり方を問う

今学期自分は機械に人間性を投影することから人の本質や、人を人たらしむ行為及び条件について考察する活動を行なってきた。

まず一つ目に、所属するグループプロジェクトにおいて「意思の所在はどこにあるのか」という問いから出発し、SF映像作品の鑑賞やグループ内での議論を通して「人が人である理由は、人として見えるから。」という帰結に至り、その帰結を元にしたスペキュラティブな作品制作に取り組んだ。グループプロジェクトのより具体的な内容については、

機械の意思。精神の所在

DJ以外もやってみる。

この幸せが本物であることをたしかなものにする強度、それだけあればいい。

の記事を参照。

花を愛でているように見えるこの機械に人間性はあるのか?

上記のグループプロジェクトと並行して、個人プロジェクトとしては主に二つの事を試行していた。一つは、強化学習を実環境ではなく、学習するAI自身が生成した ‘夢’ の中で行っていくフレームであるWorld Modelを使用して、皆がお馴染みのスーパーマリオブラザーズのキャラクターのマリオをモチーフに、ユニークで、まるで人格があるかのようなエージェントAIの制作を試みた。

World Model Mario (左) と 強化学習Mario (右)

しかしながら、制作過程で技術的な力量不足のせいもあり、当初描いていたアウトプットとは程遠く、どうしても強化学習と大差ない表現しか出来ないことに限界を感じ、個別具体的なものに落とし込んだ作品ではなく、フレームそのものをより哲学的に、大きなスケールで問える方向に路線変更した。その結果生まれたのが、二つ目の試行であり、本記事メインディッシュの “Mahincery Vritual Type Indicato: MVTI ” だ。

課題提起

パーソナリティ診断を受けたことはあるだろうか。世の中には多くの診断系ツールで溢れかえっているが、その中でも現代で突出して世界的な人気を博している診断ツールがある。 “Myers Brigs Type Indicator: MBTI” と呼ばれるものだ。MBTIをはじめとする、パーソナリティ診断ツールなどはあくまで個人や親しいコミュニティ内でエンターテイメントとして楽しむことが多いと思う上に、それがむしろ健全で正しい利用方法であると考える。しかしながら、現状として既に、企業における採用活動や人事的な配当などの公的場面において、適性検査と称してパーソナリティ診断を行い、それらを判断材料に使用されていることは周知の事実である。加えて、個人利用という文脈においても、単に楽しむ領域を超え、パーソナリティ診断における結果を自身のアイデンティティの拠り所としたり、無意識にその結果を正当化するような行動様式を取るようになったり、他者に対しても、パーソナリティ診断のフレームを通したバイアスや色眼鏡のかかった状態で人付き合いをするようになるなど… 価値観や生き方に大きく侵食する可能性もある。

そこで、自分はグローバル化と均質化が進む現代で、ナショナルアイデンティやエスニックアイデンティティ、及び安定したコミュニティ内における自身の役割のようなものが薄れゆく中、人々が自身のパーソナリティやアイデンティティを分かりやすい何かに求めようとする結果、MBTIのような、一見普遍的に見えるフレームにすがり、それに囚われて生きてしまうことへの警鐘を鳴らしていきたいと思った。そして、性格やパーソナリティタイプを生得的で不変のものとして捉えるユングの理論を元にしたMBTIに疑問を呈することで、決められた生き方や定め、運命、先天的な能力及び性能に対する否定と、より自由でありのままに生きることへの憧憬を根本のテーマに据えて、新たな作品制作を試みた。制作において、自身のテーマを示す手法として、強いメッセージやビジョンを示すこと、例えば、適性診断テストを発明した企業や個人、またそれらを利用すること自体への否定を掲げるなどはナンセンスであり、代わりに人々がそれらのツールを使う上での向き合い方における意識を変えることに注力すべきだと考えた。つまりは、パーソナリティを獲得する行為への問いかけをするようなデザインを目指したのである。ここで最も重要となるのはどのような問いを設定するかだと思うが、自分は、‘それは人間性がある行為か否か’ を問いかけることが最も効果的なのではないのかと考えた。

上記したように、現代人は強固で分かりやすいアイデンティティやパーソナリティを取得することに心の安定と生きる意義(の一部)を依拠しているとしたが、逆に言えば、人はアイデンティティやパーソナリティを獲得することが、人間的な生き方や人間性を得ることに繋がるという論理になる。そして、更にこの裏を返すと、人間性のないものは、確かなパーソナリティを獲得できないはずであり、仮に人間性がなくてもパーソナリティを獲得できるとすれば、それはパーソナリティの与え方や得る方法に問題があるはずだ、ということになる。よって、人が今まで意気揚々とやってきた性格診断やタイプ判定のような、パーソナリティを定めてもらうような行為を、人間性がないとされる機械などが同様のプロセスを通して同じようにパーソナリティのようなものを獲得する過程や状況を想起させることができれば、その行為に対する幻滅が起き、パーソナリティ診断に依拠していた自分たちを客観視して考え直すきっかけになるのではないだろうか。また、そのモチーフとして人気があるMBTIを使用することで、より多くの人に届くオマージュを作れると考えたため、MBTIの診断ウェブサイトを模したものとしてMVTIを最終成果物として作ったのである。

余談だが、2013年度の麻布中学校の入試問題で「ドラえもんが生命体でない理由を答えよ」という趣旨の問いが出題されて一時話題になっていたが、ほぼ人と同等の存在であり、パーソナリティもあるけどロボットであるという絶妙な存在のドラえもんをチョイスし、あのシンプルな問いを入試という場面で投げかけた麻布中の理科科の教師陣は、既に自分が作品として目指したかった完成形を10年近く前に提示していたのかもしれない。

2013年度 麻布中学校 理科 入試問題より

MVTI概要

MBTIを含むパーソナリティ診断は、基本的に決められたテキストベースの質問に答える形で個人の性格型もしくはタイプと呼ばれるものを同定していくのだが、質問内容やその回答を解析する仕方は個人の知覚態度や感情を含む情報処理の傾向を導き出すことを目的に、いくつかの判断要素もしくはモジュールに分けたスコアリングが行われる。そしてそれぞれのモジュールにおけるスコアの偏りを元に人物像を構築してタイプを判定している。

MVTIの制作において、まずは元となったMBTIの分類メカニズムである心的機能と呼ばれる8種類のものをヒューリスティックにAIや機械学習におけるフレームに置き替えて芯的機能と命名し、それらを元に新たなスコアリング指標とそれに対応する質問文を用意した。心/芯的機能の内容や分類メカニズムについては割愛。

機械用パーソナリティ診断: MVTI における質問文と対応する機能

そして、それらを新たにMBTIのウェブサイトとデザインがそっくりそのままなウェブサイトである本作品であるMVTIに導入し、診断におけるUI /UXは元のMBTIのをそのままに、質問文と最後に返される結果表示だけが異なるウェブサイトを作ったのである。

MVTI スタートページ
MBTI における ENTP と呼ばれる型の診断結果ページ
本作品 MVTI における ENTP と呼ばれる型の診断結果ページ

なお、結果と質問文以外の基本的なデザインは同じであるものの、本作品がコンセプトとして(かなり人間に近いAGIのような高度な)機械が使用していることを前提としていることを表現すために、スタートページのみにギミックとして、普段私たちがウェブサービスを利用やアクセスをしようとする際に「あなたはロボットですか」と問いかけてくるGoogleが発明したreCAPTCHAシステムを逆利用することにした。

上図のように、ウェブサービスの利用者が人間であることを確証するために使うのではなく、逆にロボットであることを確認するために使用していることを表現することで、MVTIがロボットを対象としているというコンセプトが分かりやすく表現できるのではないのかと考えた。具体的には、下図のように、画像を選択してロボットかどうかを確認するというシステムは同じだが、選択に使われる画像がAdversarial noise という、ロボットにしかそこから何かしらの情報を認識してラベリングできないようなノイズの画像を提示することで、本ウェブページが(あくまでコンセプトとして)ロボットを対象としていることを示した。

人間にはどれもノイズの画像としてしか認識できない

アートワーク

MVTIの結果に使用されているタイプ別のキャラクターデザインまとめ

MVTIの反省・展望

本作品は、パーソナリティのあり方や向き合い方を、直接的に何かの仮説やビジョンに基づいて研究を行ったり、開発したりするのではなく、実装性や実現よりも課題と感じている事柄を露わにすることを優位とするモチベーションで進められてきた。それ故に、全体的なテーマの一貫性や作られたMVTIがどこまで課題提起に寄与するのかが分かりづらい作りになってしまったと思う。しかしながら、MBTIが持つ既存のフレームや特徴をしっかりと研究した上で、それらを自ら一度分解し、人以外のものであるロボットに適応する形で再構築した点では新規性があり、更にそれをキャラクターデザインという形で可視化することができたのは良かった。ただ、パーソナリティという切り口に機械やロボットを対応させるという着想は新しかったものの、実際に作ろうとしているコンテンツ自体はオマージュということもあったため、細かいところで新しい視覚的な要素を加えたところでどうしてもオリジナリティが薄く感じられるアウトプットになったと反省している。また、今回コンセプトとしては、(高度に発展した、という前置詞つきの)機械が仮にMVTIのようなアセスメントを受けということを前提に制作をしているが、実際に本当に機械がMVTIを受けるとした場合に、わざわざ人間が使うよなウェブサイトやインタフェースを使うことは考えづらいという点からも、表現の方法を単なるオマージュからもう少し違う方向で試図するべきだったと反省する。結局、本作品は人に課題を投げかけるために、人に分かりやすい形で設計できたかもしれないが、より深く問いを投げかけ、考えさせる余地を作り出すという点では、まだまだ稚拙な部分が大いにあった。よりスペキュラティブデザイン的にするのであれば、本当に機械オリエントなものを作り、人が見て分かりやすいかどうかよりも、もっと機械の視点に立って、機械のロジックに合わせたものを設計しなければならなかったのかもしれない。

今後の展望としては、以上で挙げた反省点を踏まえつつ、エンターテイメント的な思索ではなく、よりアートとして受け取ってもらえるような表現方法を考案して、ウェブサイトという形に限らずに作品をアップデートをしていきたいと思う。具体的には、まずペッパー君のような比較的無個性な人型ロボットがMVTIで得られた結果に徐々に内面的にも見た目的にも影響され、いつしかその結果のタイプの説明で示された造形や特徴に近似していくようなシナリオを描く映像作品を作り始めてみようかと考えている…

こんなことを一切批判することも、馬鹿にすることもなく、自由気ままに、楽しく思弁させてくれる時間と環境を提供してくれたCCLabに感謝。

これからも社会的な機械に成り下がらないよう、変化し続ける自分を受け入れ、何かに最適化されない人間らしさを保てるような生き方を追求し続けます。

改めてCCLabの皆さん、本当にありがとうございました。再见!!

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