[CCLab21秋] DJ以外もやってみる

*大学の研究室(CC Lab)の最終課題を兼ねた内容になっています。下線付きのものはリンクです。

記事開いてくださり、ありがとうございます。

こんにちは。大学院修士課程所属、DJとしても活動させて頂いております、小林優雅です。

私は研究としてDJとAIをテーマに据え、それを軸に日々研究をしていますが、今学期研究室のプロジェクトとしてはDJと関係の無いプロジェクトに参加させて頂いたので、今回はその活動を記事にしてみようと思います。

修士研究の進捗については、こちらをもし宜しければご一読ください。

目次

  1. 今学期参加プロジェクトと参加背景
  2. プロジェクトでの活動
  3. 個人制作
  4. 来期に向けて

1. 今学期参加プロジェクトと参加背景

背景

私は所属している徳井直生研究室(Computational Creativity Lab)にて、前述のようにDJとしての修士研究に取り組んでいます。それゆえに、(前学期の私の記事をすでに読んでくださった方や今までの私の記事を読んでくださっている方はご存知かもしれませんが)学部3年次にはXDJ Projectという、DJに関する技術開発を行うプロジェクトを同期の西門くんと共に立ち上げ、そのPL(プロジェクトリーダー)として学部4年次まで活動し、修士に入ってからはメンバーとして参加していました。しかしながら、前学期の記事の末尾でも少し述べたように、私は哲学系統の事柄にも元より興味を抱いており、それをどこかで発散したいという気持ちがずっとありました。加えて、”DJ”というものを一度その領域から離れて眺めてみたい、また、DJのプロジェクト活動も外から眺めてみたい、という思いもあり、思い切って一度、自身の研究活動のルーツとも言えるXDJ Projectを離れる事にしました。

x-idol

そこで私が参加したプロジェクトは、x-idolというプロジェクトです。ここで言う”idol”とは、偶像の事を指します。(以下、私の個人的解釈でのx-idolプロジェクトの認識で述べさせて頂きます。詳細とより正確な認識についてはその立ち上げ時の頃より参加している同研究室の学生、山口くんの記事を読んでみてください。)

このプロジェクトは、哲学的思考を作品制作に落とし込む、”技術を利用する事”よりも”意図を如何にして伝えるか”・”どんな思想を表現するか”を重視するプロジェクトです。それゆえに議論の時間がDJのプロジェクトに比べて遥かに多かったです。

2. プロジェクトでの活動

今学期のベースとなる、プロジェクトメンバーでの統一思想のきっかけを得る作業として全員で一つの映画を見て、その映画の中で各々が感じた事を哲学的観点から(意思は体のどこに宿るのか、など)提起し合って議論を繰り返し、一旦の終着点に辿り着く。しかし次の週では全く新しい観点から議論してみる。その次の週もそれまでの議論の終着点を取り払ってまた議論してみる。といった作業を繰り返しました。一見バラバラで、「何をやっているんだ」「好き勝手遊んでいるだけじゃないのか?」という意見が外部から出てもおかしくない活動形式ですが、その全てにおいて不毛な議論になる事は一度もありませんでした(…と思います)。DJのプロジェクトではこのような議論の右往左往が続くと焦るものなのですが、以前からx-idolに参加しているメンバーの「大体何とかなります」という言葉を信用した事もあり、x-idolでは焦る事は一切無く、心が軽い状態で思ったままの意見交換をする事が出来ました

私の役割

このような、私の大好きな”議論”というものを主軸に活動してきたx-idolで、私は主に作品におけるコンセプト作りに携わらせて頂きました。

具体的には、今学期のx-idolの活動理念である”意思がある(ように見える)機械を作る”を基に、議論の末ルンバを利用した作品を制作する事になったのですが、その際のコンセプトです。あたかも私がコンセプトを作ったとでも言うかのような言い回しで記述してしまいましたが、以下の事はプロジェクト内での議論をベースとしているため、正確にはx-idol全員で案出した作品コンセプトになります。

iRobot Roomba (x-idolメンバー私物)

作品コンセプトへ至る道筋として、まず、”機械に意思は芽生えるのか?”という問いを切り口に考えていきます。

すると真っ先に私が思うのは、”では何故人間には意思があるの?”という事です。もっと正確には、”何故人間には意思があると言えるの?”です。この記事を読んでいる”人間”である皆さんは、どうやって他人の意思の存在を知覚していますか?どなたか、絶対に他人にも意思があると自信を持って、客観的信頼度のある根拠も示しながら断言出来る方はいらっしゃいますか?おそらくいらっしゃらないと思います。という事は、私達人間は自分の意思以外に関しては、”意思がありそう = 意思がある”と解釈して過ごしている訳です。(お断りしておきますが、いわゆる哲学的ゾンビとはベクトルが異なる議論です。混同しないようお願い致します。)

ならば、”機械に意思は芽生えるのか?”の問いに対しては、”この機械には意思がありそう”と鑑賞者が思えばその機械に意思は芽生えたと言えてしまうという事になります。ゆえにここで今学期のx-idolの活動コンセプト”意思がある(ように見える)機械を作る”が完成します。

次に、そのような作品にするためにどうするか、ですが、私達は、プロジェクトでの議論・思考に触れるような体験を促す作品を作る事で意図の伝達を出来ないかと考えました。そこで、お掃除ロボットルンバを利用します。

ルンバは元々、地雷探索ロボットのアルゴリズムをベースとして作られた製品です。そのアルゴリズムを精神とみなすと、ルンバは戦場を生きる”精神”と、掃除をする”肉体”を持っている事になります。お掃除ロボットになった現在でも、精神は地雷探索であるため、見ている世界は私達がルンバの周囲に見ている世界と違うでしょう。彼らは、銃声が鳴り響き、血と腐った遺体のおぞましい匂いがする戦場を見ているのでしょう。その中で、少しでも多くの仲間達の命を救うため、その”精神”は毎日地雷除去に出かけます。実際その肉体は、人間の部屋の掃除をしているのに…。

このように部屋の中でありもしない地雷を探しているルンバには、いわば”精神と肉体の動的乖離”なるものが起きています。”動的”と付けているのは、精神と肉体自体は乖離していないと認識しているからです。精神上は地雷を除去する”動作”をしているものの、その”動作”は肉体上(つまり私達人間にとっての実世界)ではほこりを集めています。このように、”動き”に乖離があるから、動的乖離と表現しました。

このルンバを通して世界を見ようとすると、自ずと多重構造の世界が見えてくると思います。少なくとも精神が生きている世界と、肉体が生きている世界の二つの世界が見えるはずです。すると、多重構造が見えた瞬間、人間にもルンバと同じ事が言えてきませんか?私達が知覚している世界は、もっと正確には私達の精神が知覚している世界は、肉体にとって本物でしょうか?ルンバの掃除する肉体に該当する、私達の本当の肉体は上位構造の世界にあるのではないかという推測が成り立ってきませんか?

そう捉えられると、ルンバ=人間が成り立ちます。つまり、ルンバにも私達が認識しているような意思があるのではないかと考えていく事が出来ます。

このようなコンセプトの元で作品制作へと移り、具体的にはルンバが精神上で知覚している世界と、その世界と肉体たるお掃除ロボットの連関を表現する事で私達の意図が表現出来るのではとプロジェクトで考えました。

その技術面は主にメンバーである山口くんが恐らくこれから投稿するであろう記事を読んでいただけたらと思います。

以上のようなコンセプト作りを主に、私はx-idolプロジェクトに参加させて貰いました。

3. 個人制作

ここでは、私が取り組んだ研究室の活動の一つである”やってみた”と呼ばれる課題について少しお話しさせて頂きます。

”やってみた”の課題について私は「普段手を出さない事をやってみる」と解釈しており、それを元にアイデアを絞るのですが、今学期は「AIに顕在夢を語らせる」事を試してみました。

インスピレーションと背景

このアイデアの元となったのは、フロイトの夢理論(ここでいう「夢」とは、目標等の類いではなく、睡眠中に見るものを指します)です。

元々、AI(あるいは機械)に感情を抱かせる事は出来ないだろうかと考える事があったのですが、具体的に方法として思い付くものはありませんでした。しかし、人間の無意識というものについて知識を得たいという思案から読み始めていたフロイトの精神分析入門の中にある、彼の説く夢理論の概説でヒントを得ました。私のやってみたに関わる部分に絞り、詳細は省いて少しだけ説明すると、顕在夢(睡眠中に私達が知覚する、一般的に夢と呼ばれるもの)には、その人の感情の状態も影響しているそうです。

(以下、”顕在夢”の意で”夢”という単語を扱わせて頂きます。)

これを踏まえると、(x-idolで散々私が言及していた事と被りますが)「この者は夢を見ていそうだ」と鑑賞者が感じれば、「その者に感情がある」と言って良い事になります。そして私達人間は他人の顕在夢に介入する事は出来ないため、他人の夢を知る方法として採用しているのは、その夢を見た張本人からの口伝です。

という事は、「限りなく語る事が夢っぽい」状態を、例えば文面上で表現出来れば、たとえ機械であっても、その者は夢を見たと言って良い事になるんじゃないかと私は考えたのです。

実装

では、以上のような、所謂”夢文章生成”ですが、主にword2vecを利用して実装を行いました。

まずは技術を無視したフローからです。

私達人間の夢が(基本的に)その日経験した出来事(詳細にはその時々での感情の動きなど、細々したものもフロイト曰く含むそうですが)をベースに形成されていくという理論を踏まえ、インプットとして、ひとまず人間である私が出来事を文章で入力します。その出来事文章をフロイトの夢形成理論に則って夢へと変換していきます。今回実装を目指したのはそれぞれ夢の圧縮、夢の検閲と呼ばれる機制です。簡易的な言葉で説明すると、

  1. 出来事文章の入力
  2. 出来事文章の中の単語それぞれと似ている単語をAIのモデル内から探索、提示する
  3. そうして選択された単語達から性的と捉えられる表現は性的表現を膨らませる(フロイトの夢理論では、性的願望も夢の中に含まれているとするため)、一方、あまりに性的過ぎる表現は顕在夢として現れる際に検閲されるため、排除する

といったシステム作りです。そうした流れをくぐり抜けてきた単語達を最終的に組み合わせて夢文章として出力するという実装になります。

採用した夢形成の概略

技術面については、2.でword2vecを扱います。Wikipediaデータセット(日本語版)に分かち書きなど整形を施した上で学習を行なったword2vecのモデルと、性的表現をデータとして集めたword2vecのモデルの2つを準備し、1.で入力された出来事文章のそれぞれの単語についてコサイン類似度での類似度探索を行ってそれぞれに対して代替する単語を一つずつ与えます。その際、類似度の高い単語を選ぶか、低い単語を選ぶかはランダムにしています。この部分は人間の夢に当てはめると、どの類似単語を選ぶかは感情が決める部分であり、設計者である私の意図は存在してはいけないと考えたためです(ランダムという意図があるではないか、という意見は今回は無視させて頂きます)。つまり、このランダム性の中に機械の感情が介在すると私は捉えているのです。

次に、3.では、まだ与えられた代替物文章がただの単語の羅列にしかなっていないため、DeepLにpythonライブラリseleniumを使ってアクセスし、日本語→英語→日本語と翻訳を繰り返す事で、半ば強引に文章の整形を行いました。性的表現については、相当卑猥な文章を入力しない限り出来事文章の単語が性的表現モデル側で探索してもヒットしないため、アップデート部分として残しておくことにしました。

以下、実際に入力した出来事文章、出力された夢文章です。

  • 水をコップに汲む。今日もいつものルーティンで一日を始めた。寝坊していたが。
  • ソーマ川への砂撒きボトル。今でも恥ずかしいのですが、同じ年に「Beer Man Spin 2」にこだわることを志しています。そろそろ病欠の連絡をします。
  • J・Rについては、まるまる何章分書いたって、まだ書きたりません。なにしろ、自惚れ屋で、陰口好きで、意地悪で、威張り屋で、陰険で、偽善家。(アンネの日記より)
  • インターネットのどこで、どのように使用するかについての質問がある場合は、Webサイトで電話で問い合わせることができます。素晴らしい。
  • (Biography部分)
  • theory。Android Pointing PolycombのGallery作者も見やすいと感じています。しかし、知的でもある。2018年で3回目となるGoogle。しかし、2014年の発足で5回目となる青山学院大学では、同じ学校のプレイステーション用のシステム。実験的なウィルソン小学校次元だが、そろそろ道徳観念を養う必要があるのではないだろうか。東京工業大学。農業科学Fortas

アップデート

生成された文章を見て第一に私が思うのは「口伝ぽくない」という事です。語っているのを見て、聞いて初めて「この人は夢を見たのだな」と他人に対して認識するものですが、これら生成された文章を見ても「語っている」には入らないため、私の目指す夢語りにはまだ該当していないように思います。故に人間が夢を語る時の、実際に見た夢の出来事の抜け落ち具合(人間は見た夢を全て正確に覚えている事は出来ないため)をどう表現するかという課題が残ります。

次に、「これはAIが体験した事ではない」という点です。入力した出来事は全て人間が体験した事であり、いわば「AIが代わりに夢を見た」状態です。このまま作品にするには私の思想表現に沿わないため、沿わせるのであれば自動運転車に搭載されているAIのログを扱うなどして、出来事からAIに入力してもらう形を目指す必要があります。

上げ出したらキリが無いため、その中でも特に私が改善したいと考えるポイント2つをここでは紹介させて頂きました。

4. 来期に向けて

今学期は本当に楽しかったです。私が今まで、たとえ好きで個人では取り組んでいても、研究室の活動としては触れる事の無かった制作にx-idolのメンバーが触れさせてくれた事に感謝しています。おかげで得たものは沢山あります。中でも議論の時間で自身の持つ思想や思考形式を更に洗練出来た事は非常に大きな成果でした。

来期以降、x-idolにも参加するかは分かりませんが、また機会を見つけて議論させてくれたらな、と思いますし、個人制作のアップデートをする時間も見つけられたらなと考えています。

また、そういう主観的なものだけでなく、客観的な収得物もありました。XDJ Projectを外から眺めた事で、明確に一つ課題を見つけられたのです。

それは、自分がPLとして活動していた時からずっと、現場志向でもアート志向でも無い、どっち付かずの状態の研究活動になってしまっていたのではないかという事です。私が修士研究の言及をしている記事を読んだ事のある方であれば伝わっているかと思いますが、DJに関わる技術研究活動に対する姿勢として私が掲げているものは、”クラブ現場のDJが実際に活用したいと思えるものである事”です。しかしこの側面からDJプロジェクトの活動を冷静に捉えてみると、特に完成形としてのアウトプット(展示・パフォーマンスなどの表現)はクラブ現場で使えると判断出来るものが無いではないかと、プロジェクト外の一DJの視点には映りました。

もちろん作品としては、新たな技術・表現提案としては、非常に面白いです。自画自賛では無いですが、自身がPLを務めていた時の作品群も、自分がプロジェクトを離れた時の作品も、全てが非常に興味深い作品です。

しかしプロジェクト内の熱を離れた事で今一度、XDJのプロジェクトが何を目指すのか、そのコンパスを向けるべき対象は何であるのかを考える必要があるように思いました。意図するのは普段DJとその派生文化に触れない人達にDJを感じてもらう事なのか、クラブDJ達にとって有用な技術を目指す事なのか、あるいはその両方を目指せるレベルになるまでの作品を何とか生み出す事なのか。

来期は修士最後の年という事もあり、XDJ Projectに私は恐らく戻らせて頂く事になると思います。自身の修士研究に加えて、プロジェクトの活動もより一層レベルの高いものにしていきたいと強く望みます。

これからも修士研究は続き、直近ではプロジェクト活動に対する様々な思案を重ねなければいけないなどありますが、私の出来る範囲で様々な事を進めていきたいと思います。

最後になりましたが、記事読んで下さってありがとうございました!

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