エゴとインスピレーションの見分け方

修理固成
Cre888
Published in
9 min readOct 24, 2020
創作活動を行う際に混同しがちな「エゴ」と「インスピレーション」の見分け方とは?

閃きを受け取り、
新しく形を作っていく時、

それがエゴなのか
インスピレーションなのか。

その一番簡単な「見分け方」は、

1人の人間が計画を立てれて、
思考で組み立てることが でき、

ゴールを見れるものが
【エゴ(思考)】

思いつきや閃きなどが湧き出た時、
その 後の行動を計画的に運べるものは
エゴだと判断できる。

一方、

ただイメージとして受け取り、
それをどう表現していけばよいのかわからない、

具体的な形にするために方法も浮かばず
その組み立て方はすぐには降りてこず、

どう動けばいいのか

ゴールが見えないものが
【インスピレーション(直感)】

もしなにかを閃き、
行動に移そうとした時、

結果が自分の中でイメージできるのであれば、
それは 宇宙の情報ではなく、

思考が生み出した「エゴの産物」に過ぎない。

インスピレーションとは、
ふとした時に湧き出し、閃く
思いつきのようなもの。

ただ純粋な直感に従い
間髪を入れず行動することで、

今無いものを形あるものへと
つくりあげるためにどうすればよいのか

それを試行錯誤していくことになる。

Summary(一枚集約)
では、ゴールも方法もわからない「インスピレーション」を具現化する筋道とは?

それには、まず人が集まり、
それぞれの受け取る
インスピレーションを持ち寄り、

そして 「共につくっていく」という
プロセスを踏むのだ。

その波長の中で
現実化への鍵となって いくのは

【共同創造】

これからは独りではなく
できればより大勢の人々が集まり、

ひと つのものをつくりあげるという
行程を踏んでいくのが、

時代の意に沿った行いだ。

これから社会の中心になっていくのは「創造」

これから社会の中心になっていくのは
「創造」していくという営み。

社会の中で人々が
根本的なベースとして必要としていくのは

「文化」だ。

これまでは経済が社会の中心だったが、
これから文化や芸術といった

「創作活動」が社会の中心となっていく。

人が心を弾ませる感覚的なもの、
そこに直結する感性に訴えかけるもの、

一人ひとりが創 造的な生き方をしていくこと、
そして、クリエイトしていくことが

これからこの地球に必要になる。

そして、人が天地とつながる瞬間、
それは「創造の行為」をしている時だ。

実は「創造す る」という行為を通じて
「宇宙の源」とつながることができる。

人は、その実クリエイションしている時に、
天や神の詔を無意識に受け取っているのだ。

ところで「詔」とは、
どういったものだと捉えているだろうか?

神話において「命」がつく神名は、
宇宙の神々からご命令を受けた

「神の子」という意味であり、

半神半人の現人神にして、
神の「御言」を「宣」る存在が「命」なのだ。

要は、神人 合一であり、

且つ神の代弁者にして、
代行者のことを指す。

従って「詔」とは即ち、
神の意図を拾い、素直な心持ちで行うものだ。

人が受け取った天地の声を
現実化させていく ならば、それは神の行いだ。

ただし、自らの中が

自我の思いでいっぱいの時や、
計画や意図が固定されすぎてしまうと、

そこに天の入る余地はない。

思考の枠がというのが
重く「窮屈」だからだ。

己のエゴを見つめずに、
世界に投影する者は、

「破壊」も「創造」も何もできなくなる。

エゴを包み越え、純粋な心となる

「天の受け皿」

即ち「空の器」となってはじめて
宇宙や神仏、時代、土地、 先人…など

様々な存在の意志が注ぎ込まれ、
次元もスケールも段違いの現実創造が可能となる。

「無我の創造(Ego-less Cre8)

「予定調和」から 「連鎖調和」の時代へ

思考して先を見通し、予め決めた
筋書き通りに計画達成していく

「予定調和」ほど退屈なものはない。

シナリオは、所詮
人知が及ぶ範囲でしか描くことができないからだ。

古い制約や余計な作為に囚われていては、
シンクロニシティを宇宙から締め出してしまい、
大いなる流れを絶ってしまう。

しかし、人知を超える選択肢は常に存在している。

その叡智を引き出す工夫とは

シナリオを定めないこと!

なすべきをなし、
余分なことは全て手放し、ゆだねる。

その余白に、奇 跡が舞い込む。

無垢の器に人知を超えた力が降り
思考も想像も超える現実が顕れてくる。

これは大宇宙が創造したがっているものが、
我々を通じて現われ出てようとしている状態なので、

それを形にする時絶大な応援が押し寄せて来る。

宇宙は偶然を装い、
地球人類の 進化をこっそり支援しているのだ。

風は常に吹いているから、帆を張るだけ。

宇宙に自分の願いを叶えてもらおうとする。

宇宙の願いを叶えるために自ら前衛に立つ。

これは似ているようで、全く次元が異なる。

宇宙の意志と自らの意志を
一致させることこそ「人知」を越える
「天智」と共に共同創造する道だ。

「予定調和」を包み越え

「連鎖調和」の時代の扉が開く!

現代の「まつりごと」において
欠落してしまった一番大切なものとは?

「天地の声」に聴き従って、
「まつり」を行うことだ。

祀りは天地をつなぎ、
政りは天地に従う人をつくる。

祀りと政りを結びなおすことで、

「天地人三つ巴」

天と地と人が結び合い、一緒になって
創造していく「本来のまつりごと」が
この地球に戻ってくる。

宇宙も参加してみんなで共に
プロジェクトを作り上げていく

「天地人一体」の「共同創造」が
これからの時代のスタンダード!

内なる宇宙におりてくる
インスピレーションに従い、

クリエイトしていくということ、

生活の中でそういった芸術的な
創作活動が常に自分たちの

中心になっていくこと、

それこそ
分離されてしまった宇宙とのつながる
一番楽しくて簡単な方法だ。

Inspired by M・Yoshikawa

それは 形や型があるものではない。

天地の声を聴き、
その本質を感じ取るのだ。

その都度変わる
天の声・地の声を
聴き、問いかけ、

必要なことを人々で談じ合い

対話の中から生み出される
発想を組み立てていく、それは、

その時にしかない「即興芸術」だ。

そういうわけで、これからの時代は、

思考よりも、まず行動するということが、
これまでよりもっと大切になってくる。

物事をはじめる前に状況を分析し考えるよりも、
インスピ レーションから感じるままに、
すぐに行動に起こすことが第一なのだ!

それが時代の即した行いだ。

だからこそ、
自分の中でふと思いつくような感覚や
理屈や意味ではあまり説明がつかないことが
思い浮かんだ時、

ぜひ行動してみてほしい。

「内なる宇宙」から湧き出すものを
もうこれからは止めようとしてはいけない。

理解の範疇に押しとどめ固定すると
宇宙の波長と合わなくなってしまうからだ。

心のままに、はじめの一歩を踏み出そう!

Inspired by M・Yoshikawa
Masterしてはじめて、Masterになれる!

思考・計画・達成の世界で
練られぬままの無計画や

エゴが満たされぬままの
無我や志は、

虚空に過ぎない嘘偽りであり、夢想に終わる。

「熟達」すること無くして、
その「主人」に成ることはできないのだ。

両極限の世界を知り尽くした上で
”己の眼”で判断し、進む時代である。

Masterしてはじめて、Masterになること ができる。

天のインスピレーション・地のシンクロ二シティ・人のクリエーション

内なるインスピレーションに従って
行動し皆で持ち寄ると、

同じ源から受け取っていると覚る

そういう「シンクロニシティ」を
感じる瞬間が増える。

そして、同じインスピレーションを受け取り

ひとつのものを作り上げていく
共創・共進化する過程の中で、

「大いなる 宇宙の意図」を感じる瞬間が訪れる。

そうすることで、

お互いに頭ではなく肉体の感覚で
宇宙という存在を体感・実感し、

そして、確信していくことができるようになる。

これからは知識ではなく、知識にないもの
過去になかったものをいかにつくりあげていくか

「実践創出」が中心になってくる。

これからはただ
体験をするためだけに生きていく時期に入っていく。

だから、これまでの 蓄積や情報といったものが
全く役に立たない時代となっていく。

過去の書物からヒントは得られるかもしれないが、
しかし、そこに答えはない。

その体感を深める道諦として
「直入(直接体験)」するしかない。

あたらしい地球のルールを体得するには
「体験」で上書きするしかない。

そのためには、

どうなるかわからないカオスに
思い切って飛び込む以外に、

次の生き方・次の時代に移行する道はない。

先の見通しが見えないのは、
余計な思考をしないためだ。

霧がかって前が見えないかもしれないが、

宇宙は我々の魂の望みを
知っているから

ちゃんと導いてくれる。

だからこそ、
宇宙を信頼し、はじめの一歩を踏み出そう!

自分の心に問いかけて、

その答えを生きていくのだ!

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