修理固成
Cre888
Published in
8 min readMar 8, 2021

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自由で過酷な道を課す

新しい時代をつくる
生命の芽が吹き出る時を待って、

息を潜めて生きている人が大勢いる。

一人一人の
いのちに沸き起こっている

「真の要求」

これを感知できるかできないかが、

個人にとっても、
世界にとっても、

大変に重要なことになってきた。

その今までずっと待ち焦が れた世界が
ようやく眼前の現実としてやって来ている。

既に到来している新時代を察知し、

自らの選択と行動によって、
あたらしい世界を作り出 そうと

先頭を走っている人たちがいる。

現象としてもう起きている事実がたくさんある。

これは自分たちが選んだものがたり。

覚えている人もいる、
忘れている人もいる、

あえて この乱気流の時代を選び、
この物語を心待ちにしていた、

それがようやくはじまる。

やり方を変える勇気を持て!

背負わず、軽やかに、
自分の持てるものだけで立つ

「独立」した生き方を
実践している者は、

今という時代ほど
楽しいものはないと口を揃える。

先に判断を下し、
状況が悪化する前に

俊敏に動きながら

自分たちが選び取って来た生き方に、
やっと社会がフィットしてきた実感もあろう。

むしろ、このゲームをどう乗り越えていこうか?
と楽しんでさえいる。

そういう人は、

組織の中に居る事を選ばず、
自分自身ではじめから独立し、

自ら身を立て、 自由に動き回っている。

プロジェクトをつくるにしても軽いから、
場所にも人 にも縛られない。

だから、この状況の中、
国や組織に命令される必要もなく

どんな判断を下し、
どう対応するかも、

自らの意思で決めれるのだ。

そのため、
状況にどう対応するか

指示を待っている者よりも
不安は極めて軽い。

しかし、ほとんどの人は、

多くの形が崩れていく中
「不安」を感じているであろう。

ピラミッドのやり方や
形式の中で生きてきた人々が、

頂点であろうと、
内部に居ようと、

立場に関係なく苦しんでいるのだ。

まず自分が所属している団体では、
自分をもう背負ってはくれないと
感じた人間たちが、

大きな不安を感じている。

そして、誰より
一番縛られているのは

「頂点に居る人」

今一 番苦んでいる人はそういう
「背負っているものが多い人」 だ。

皆の安全を守り、
社会的責任を負わなければならない
立場だからだ。

今までの組織のリーダーが
苦しみから解かれるには、

まず自身の責任の中で
「他人の人生を背負ってしまっていること」
これに気づかれたい。

本来どの人も
「自分自身の責任しか取れない」

ここに戻る必要がある。

だから、いま苦しんでいる人たちは、

自身が背負っている責任を
どれだけ降ろしていくことができるか、

その覚悟を持たなければならない。

その行為は、これまで
組織で守られていた人々に対し

「自分で自分のいのちの責任を
とっ ていかねばならない」と

気づきを与える行為でもある。

それは痛みを伴うかもしれない。

しかし、人は守られていては、
守ってくれていた人間の
痛みを知ることはできないのだ。

あり方とやり方がズレた不一致では
己と時代が接続されることはない!

皆が自身の生き方を見直すために、
今トップに居る者は

「自分たちのやり方を変えてい く」

その勇気を持ってほしい。

その責任を手放した時、
どれだけ自分自身が自由であったか

思い出していけるだろう。

それも一人では難しいのなら、
同じ課題を抱える皆で手をつなぎ、

同時にそれをされては いかがだろうか?

ピラミッド組織の崩壊

今は「組織」というものが崩れていく時期。

現に国という組織も崩れている。

組織頼みだった人々は、

これからますます
激動期へと突入する中で 、

まず自身の足元を
作り直さなければならない。

これまで組織をつくり、人を抱え
世を率いてきたリーダーたちも

もう抱えき れなくなると思い、
手を離し出した。

なによりも国が一番に手を離している。

だから、もうリーダーたちも
組織をつくることが

リスクだということに気付いている。

しかし、次のあり方も
やり方も見えずに立ち止まっている。

このように先の見通しというのが
どんどんなくなっているのは、

その実、今を生きることに集中するためだ。

未来や時間という幻想が無くなれば、
今しかないという実相が自ずと悟られる。

この事を 自由を獲得したと受け止めれば、
これまでにない自由がゆるされる時代。

未来は、未だどうなるか決まっていない。
未来それ自体も、刻々と変化し続けているのだ。

( ※ そもそも未来など、思考の中にしか無い幻想 )

人知を超えたシナリオというのは、
誰もどうなっていくのかはわからない。

誰もわからないということは、
教え、教わることが不可能ということ。

人は、明快で明確な答えに弱い生き物。

だから、道を示してくれる
「優れた者」を求めた。

自分が亡いから、
自分の頭で考えられないのだ。

しかし「優れた者」などどこにも存在しない。

たとえどんなに他よりも
10倍も100倍も勝る力を持った

まぶしい誰かが居たとしても
委ねてはならない。

間違えず生きられる者など、
どこにも居ないのだから。

大きくてまぶしい存在を、
信じて頼るのは楽なこと。

自分で決めるのは、
自由で過酷な道。

だからこそ、

自分の心に問いかけて
その答えを生きるしかな い。

今までのように

与えられたレールも枠もない
真っさらなキャンパスに

あなたは何を描く?

軽やかなソリスト同士が繋がり、
自らの音や色を出し合い響き合う。

その閃きが連鎖する瞬間瞬間というのは、
誰も何が生まれるかわからない即興芸術。

即ち「連鎖調和」

まだ先が決まっていない、
誰もわからないということは、

自分たちの選択と行動によって、
どうにでも塗り替えて行けるということだ。

内側が現実化する、

その速度が速くなっていることは
この地球が次元が上昇していることの現れである。

次元が高くなればなるほど
タイムラグが小さくなっていき、

これからますます
先の見通しがなくなっていく。

与えられたレールを
受け身で歩みたい人には、

今ほど辛い時代は無いと思うが、

つくり手に回りあたらしい世界を
クリエイトする導き手を志す人にとっては、

未だかつてないほどスパーキーで
エキサイトできる時代となる。

全ては自分の選択と行動次第。

自由とは「責任ある選択」なのである。

そんな自由で過酷な道が課されている。

思い出せ!
決めてきたはず!

舵は自分で取れるのだと!!

この体感を知らない人、
体験していない人に伝えていくには、

それをもう体現している者が
集まることが大切だ。

ふとした時に思い浮かんだ相手から
電話がかかってくるテレパシー、

自分たちが必要だと思ったことが
すぐに現実に現れるシンクロが連発する…

それが高次。

これは不思議なことではない。

そして、これが当たり前になっていく
必要があるとは思わないだろうか?

これを読む人は、実感と
同時に共感されるに違いない。

しかし、一人の人間が
それを伝えていっても

信じる人は少ないのかもしれない。

だから、今のこのタイミングで、
同じ体感覚の人々が集まられたい。

なぜか楽しそうに自分たちの
望む世界を現実化させ、

社会の状況に振り回されず
軽やかに生きているという事実。

それを「集合体」で魅せていってほしい。

まだ気づいていない層の

視線をこちらに向けさせ、
啓発しなくとも

自然と気づきを促していく
よい方法が「集まること」なのだ。

ぜひあたらしい世界の住民たちが
集まる機会を多く設けてほしい。

集まるということが、

多くの人々の心を開き
光を与えていくことになる。

歩く人が多くなれば
道となるからこそ、

急ぎもう一歩踏み出し、
果敢に新しい道を示していこう!

みな一斉に旗挙げだ!

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