場所のちから

たふみ
たふみ
Aug 29, 2017 · 5 min read

場所にはちからがある。

僕は生まれてこの方、日本から出たことがない。引っ越しもしたことがなく、3年前までは、生まれた土地から離れることなく、そこでの生活しか知らなかった。

…という背景から。

高校に受かった時に、僕は、「新しい場所で生活する」ということを、本当に、はじめて実感した。

この土地を離れるんだなと感じたのは、決して自分だけではなかったと思うけれども、それでも、ながく付き合ってきた友人の多くよりもより遠くに通う、まして、一種コンプレックスさえ感じる「東京」という街のはずれに、これから3年間毎日のように行くのだなぁと思うと、それはそう思わずにはいられなかった。


しかし慣れてみると、別にそう大きな話でもなくなっていく。はじめは新鮮味の合った電車通学も、そのうち何度も乗り換えることに嫌気を感じたり、学校まで1.5kmほどある素敵な並木道さえも、ただの通学路と化していく。

確かに今までとはまったく異種の、未知の空間ではあったが、それは次第に自分に取り込まれて、あたりまえになっていく。それはそれで正しいし、そうでなくては新しい場所で生活することにはならない。ただその場所に赴くだけでは、それは旅であり、自分の場所としては認識されない。自分の場所とは、場所と自分が溶け込んで、あたりまえになってこそ生まれる一体感なのだ。


そして、場所のちからを知るのは、多くの場合、その場所を去ってからであるようだ。

そのちからは有限であり、その場所へいかなくなると効力が薄くなる。しかしうけとったものを失うわけではない。新しく受け取るものがなくなるためだ。ありがたいことに、次にその場所へ行ったときはすぐに溶け込み受け取ることができるようではあるけれども。

この春、僕は3年を終えて、また半分地元に戻っている。

そうしてみると、自分がいかに、あの場所から受け取っていたものが大きかったかが分かる。

様々なインスピレーションや、考え方、考える時間、考える立場、自分の中にそういうタイミングを生み出していくのもきっとまた場所なのだ。場所を変えると、そういう感覚がずれていくのを感じずにはいられない。

また、場所によってその力の度合は違う。僕は通っていた場所のちからが強すぎたようで、自分の中で大きなズレ、もしくは物足りなさ、あるいは受けるものの少なさ、そういうものを感じる。ずれているから受け取れないのか、場所にちからが無いのか、それはまだわからない。

それはきっとここで書いたような話の発展形で、場所と沈黙を共有する、そういう話にも繋げられるかもしれない。

場所のちから、とは、決して人が多いことや賑やかなことで度合いが決まるものではないし、人に依存するもので、とても相対的なものだ。だけれども、その相対的な感覚は、きっと生まれの場所で育まれる。そこに差異はあるものの、多くの場合、生まれの場所が似ているひとは、沈黙の共有がし易いのではないか。ただし、人によってはその相対的な感覚を1からリセットしたいと思う人もいるし、それを延長させたいと思う人もいる。僕は後者で、けっして育ちの場所が嫌いなのではない。むしろ好きだ。そういう感覚は、場所というよりは多くの場合、育てられ方やそういうもので決まるだろう。

その自分との同期性に関わるのは、なにもその場所の特徴だけではない。時間もそうだ。

場所には、空間的要素だけでなく、時間的要素も含まれている。たとえば、同じ土地でも100年違えばまったく違う場所なのだ。100年前にいま同じ場所を歩いた人とあなたでは、その場所から受け取るものが違う。

だから、あの3年でなくては受け取れないものもある。もちろんあの3年だったから受け取れなかったものもあるが、それは運命だ。「受け取らない」という受け取るものもある。

人との出会いは一期一会というように、場所との出会いも限りがある。場所と親しくなるには時間がかかる。

でもきっと、好きな場所というのは、時間が経っても、自分の心の中の拠り所となる。いまたとえうまくいっていなくても、次、あの場所に行くことを考えると、またがんばれたりする。

人とのつながりでも場所は増えていく。自分の好きな人が好きな場所というのは、簡単に親しくなれる。それはその人が時間をかけて築いてきた関係を、その人と仲良くなることで、信頼してもらうことで、おすそ分けしてもらえるからだ。

場所のちからはおすそわけしても減ることはない。むしろ場所と大切な人がつながることで、その場所のちからが増すのだろう。


僕は、ずっと、同じ土地を生きてきた人と過ごしてきた。それが高校に入り、さらにいま、そうでない人があたりまえに回りにいる環境をようやく知ることになった。自分の育ってきた場所を体験として、時間として、共有できない人のほうが圧倒的に多いという、ごくごくあたりまえのことに、ようやく気づき、驚くのである。

もし…今後、僕が大切にしたいと思う人が出来たならば、きっと一番最初に知りたくなるのは、その人の生きてきた場所、だと思う。

そんなことを思いながら、ふと、筆をすすめた投稿でありました。

おわり

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