2017-01-29, 「面白い」と「分かる」の鶏卵

「好きこそものの上手なれ」という言葉がこの世には存在する。英語にも、 “What one likes, one will do well” という言葉が存在するくらい、この概念は世界共通だ。

ところが、現実の順番は違うように思える。いや、現実などと大きな世界ではなく、きっと私の周りのごく一部なのだろうけれども。今日はそんな世界のお話だ。

私は総称してコンピュータというものに魅了され続けてはや8年近い。人生の44%もこいつらに捧げてきたのか。そう考えると少し憎らしいところもあるものの、やっぱりこいつらは憎めない。

いろいろ失敗もしてきた。私は途中で放り出すことは嫌いだと自分では思っているので、それなりに最後まで形をつけてから何事も終わるように気をつけている、けれども、それなりにどうしても続かなかったことも多い。失敗したり思うようにいかないとそういうことが多かった気がする。

そんな中、私が失敗しても思うようにいくらいかなくても、嫌いになれなかったのはコンピュータであり、プログラミングだ。

だからいい加減、もう本当に好きだと信じていいと思う。まだ自分を疑っている部分はあるものの、そう言い切っていいんじゃないか。

ところかわって。

つまり私は、別に「分かる」から「面白い」と感じたわけではない。「面白い」から「わかりたい」と思ったのである。

でも世の中、小学校中学校高校、どれもどれも、「分かる」から「面白い」を作り出そうとしているように感じてならない。

もちろんそれは大事なことだし、そこで大事な生涯の好きなことを見つける人もいると思うし、きっかけを与えるのは何より重要な事だ。

何が好きかもわからなければ、突き詰めることなどできない。

だけれども…だけれども…。分かるから好き、と言うのは違う気がするんだ。わかっていただけるだろうか。

もちろん、人間は成功体験が好きだ。だからこそ、「分かる」という行為は直で成功体験につながるため、それが気持ちのよいことと感じて好きになっていく、それはわかる。

それに、もちろん最低限の教養、知識量という意味で、小学校、中学校が存在スべきなのは分かる。

でも、なんでだろう、そこが混同されて、イコールとして扱われているのではないか。

私もこれについては思ったことをうだうだ書き連ねているだけなので、これがどう問題であるとか、そういうことがいいたのではない。(じゃあ書くなよという意見は無しで)

しかし、同時になにか引っかかる、問題を感じるのは事実だ。

いったいどういうことなのだろう。それは本人にもわからない(笑)。