日常の非日常性
Makoto Ono
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ローマは一日にして成らず

穏やかな日々を継続して行くにはやはり、水面下でそれなりの努力は必須である。いかにもその日その時々の平和が偶発的な風景に視えたとしてもそれはあくまで表層の光景であり、そこには各々のひたむきで地味な努力の痕跡を私は見逃さない。

元記事Everyday is Valentine..はその一部を写真のように切り取ったコラムであり、そこに血と汗の痕跡は一切視えては来ない。

‥そう、努力とは見せないところにその真価を問われ、努力を努力と口にした途端にそれは偽善になり果ててしまう。

年に一度、毎年2月14日だけを美しく甘ったるくチョコレートで着飾る人にもそれなりの美学があるだろうし、そうではなくその一枚のチョコレートを365日の日々の料理に置き換えて大切な人との時間を粛々と温め続けることも又、私なりのバレンタインのスタイルかもしれない。
だが、やはりそこに汗の臭い、労働の臭いは一切に滲ませずに居たいと思う。


私が大好きな言葉、『ローマは一日にして成らず』。今の私の幸せも、そして今の相方の幸せも、さらにはそんな二人が大事に至ることなく日々を楽しめるのも全て、双方が双方に見せない努力の賜。
それは一個の曼陀羅を作り上げる行程にも似て、時に険しく時にせわしく、日によっては体調は感情面が優れない時もあり、だけど結果としてその全てが一個の幸せを紡ぎ上げて行く一部であり、全ては双方の笑顔と共に払拭され温かな記憶だけが累積して行く、それが家庭と言うもの。

私の周囲には家庭が上手く行かない人、相方との溝が埋まらずに毎晩泣いている人たちが異常に多いが、その中で私は(再婚までの長い期間を遣って)何より理想を落とさずコツコツをその理想に見合う自分を構築し、正真正銘人生の折り返し地点間際で思い通りの幸福を得ることが出来た。
だがそのプロセスの大半を誰も知らないし、実際にハチャメチャな時期もあった。

そう、やはりローマも人生も一日にして成らず。
酸いも甘いも経験し、そのプロセスの否定や断罪よりもそこから生まれた感覚や経験や教訓を大切に、苦労や不毛の記憶が自分自身の美しい糧として昇華出来ればそれで良いと思う。